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2016年11月

2016年11月27日 (日)

須賀川松明あかし(2)

11月12日(土)

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小松明行列、五老山へ向かう。

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小松明はおもてなしイベント広場(13:00~15:30)で製作できる。材料は竹・針金・布。また、17時から見晴橋駐車場で小松明の販売(1本500円)している。

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10mの大松明に点火するところ。

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姫松明にも点火された。

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姫松明から白煙が上がっている。これからどうなるんだろう。

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本松明にも次々点火された。

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姫松明は一気に燃え上がった。

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本松明は地元の中高生も製作している。応援合戦で盛り上がっているようだ。いい思い出になるだろうね。

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武者仕掛け松明に点火

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城仕掛松明にも点火

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熱で顔が熱い。場所を移動しよう。

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別の場所から。そろそろ燃え尽きる頃かな。

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松明太鼓演奏

徒歩で須賀川駅へ。有料シャトルバスもあります。

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須賀川松明あかし号(臨時)

須賀川(20:22)→郡山(20:33)
新幹線 郡山(20:42)→大宮(21:34) 自由席2590円
宇都宮線 大宮(21:42)→赤羽(21:57)

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2016年11月20日 (日)

須賀川松明あかし(1)

11月12日(土)

郡山(13:50)→須賀川(14:00)

松明あかしを初めて見に来ました。なかなか土曜休みと重ならなくて、やっと見ることができます。

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松明あかしは、毎年11月第2土曜日に行われます。

由来について、わかりやすく要約するのは難しいので、松明あかしリーフレットの説明文をそのまま載せます。

「今から427年前の天正17年(1589年)6月、伊達政宗は、
会津黒川城(後の若松城)主芦名氏を滅ぼし、
その余勢をかって須賀川城を攻撃しようと、
ひそかに岩瀬地方西部の諸将に密使をつかわしていました。」

「◆須賀川城は女城主
 このとき、須賀川城主は二階堂盛義の後室大乗院で、気丈な女城主であり、しかも政宗の叔母でありました。
 また、政宗が攻撃した会津黒川城主芦名氏の先代城主芦名盛隆は、大乗院の嫡子であり、滅ぼされた当時の城主芦名義広は、大乗院の孫婿であったことから、大乗院は政宗に降伏することを快しとしませんでした。
 政宗の計略を知った二階堂家の家臣や領民たちは、10月10日の夜、手に手に松明を灯し、町の東の丘(十日山)に集まりました。そこで、決死の覚悟で須賀川城を守ることを決議し、城主である大乗院に進言したのでした。」

「◆釈迦堂川で合戦
 10月26日(旧暦)未明、伊達政宗は大軍を率いて須賀川を西から東に流れる釈迦堂川の北側にある陣場山(現須賀川桐陽高校付近)に本陣を構え、釈迦堂川を挟んで合戦の火ぶたが切られました。
 決戦場となったところは、八幡崎・大黒石口(現須賀川病院付近)と雨呼口(現神田産業付近)で、辰の刻(午前8時頃)に攻撃が開始されました。
 須賀川勢は圧倒的な勢力の差にもかかわらず善戦し、敵味方入り乱れての壮絶な戦いとなりました。八幡崎・大黒石口では伊達勢が次々と新たな兵を送り込むなか、一進一退の激しい戦いが続き、敵味方の多くが武人としての最後を遂げました。雨呼口では、初戦での戦闘で須賀川勢が勝利したものの伊達勢は新手の兵を増強し再び雨呼口に押し寄せてきました。
 このとき、かねてより伊達政宗に内通していた二階堂家家老の1人、守谷筑後守の手の者が、城本丸の風上にあった長禄寺付近(現長松院付近)に火を放ったため町中が火の海と化し、須賀川城も多くの家臣とともに炎に包まれ、文治5年(1189年)から400年間南奥州の雄として権勢を誇った二階堂家、須賀川城は遂に落城してしまいました。
 また、支城・八幡崎城(現八幡山)での戦いは最大の激戦となり、須賀川の兵は、本城落城後も踏みとどまって戦い、ほとんどの兵が討ち死にしました。」

「◆合戦の犠牲者を弔う
 松明あかしは、この戦いで討ち死にした多くの人々の霊を弔うために行われるようになったとされています。
 昔は、旧暦の10月10日に行われていましたが、現在は新暦の11月第2土曜日に五老山で行われています。この五老山は天正9年、三春城主・田村清顕方と須賀川城主・二階堂盛義の老臣5人が和睦の交渉をしたことから、五老山と呼ばれるようになったと言われています。」

日本三大火祭り 松明あかし 魂の炎 (7分50秒)

須賀川観光協会の動画です。わかりやすくまとめられています。

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ウルトラマンタロウ ウルトラマンエース ウルトラの母

中心市街地の松明通り歩道にウルトラマンのモニュメントがいくつかある。プレートに「2016年11月12日設置」とある。この3体は、設置されてまだ数時間しか経っていないんだ。

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ゾフィー 宇宙恐竜ゼットン

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ウルトラマンジャック 宇宙大怪獣ベムスター ウルトラセブン

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宇宙怪獣エレキング 古代怪獣ゴモラ ウルトラマン

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大松明(長さ10メートル、重さ3トン)

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大松明をかつぐ練習をしている。

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おもてなしイベント広場で、戦国鍋、松明スープのお振る舞いがあった。

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二階堂神社

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須賀川城の本丸跡地だそうだ。この辺、昔は須賀川城だったんだ。知らなかった。

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15時過ぎ、大松明行列通過。

吉田医院前を出発して、1.5キロ先の五老山まで搬送して松明を人力で立てるそうだ。

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姫松明、ウルトラセブン

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姫松明

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合戦の地をガイドさんが解説してくれるツアー(無料)があるそうなので、参加してみた。

15:15ツアー出発
①おもてなしイベント広場(須賀川城二の丸)→②須賀川城本丸(二階堂神社)→③神炊館(おたきや)神社→④雨呼口(あまよばりぐち)→⑤陣場山(じんばやま)→⑥大黒石口(だいこくいわぐち)→⑦八幡崎城→⑧二階堂家荼毘場(にかいどうけだびじょう)(本陣あと)→⑨長松院(ちょうしょういん)当時は長禄寺、ここに火をつけられた→⑩二階堂神社
16:45~17:00 御神火奉受式、献吟
ツアー解散、五老山へ移動

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水・・・河川改修以前の釈迦堂川
黄・・・伊達勢
緑・・・須賀川勢
赤・・・陣場山
紫・・・大黒石口、雨呼口
青・・・本陣、須賀川城本丸
卍・・・長禄寺(長松院)
橙・・・八幡崎城
桃・・・五老山

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神炊館神社

須賀川城の堀はほとんど埋められたが、ここに堀と土塁が一部残っている。堀を埋めたところは、地震の被害が大きかったそうだ。神社の灯篭も一部倒れたままだった。

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土塁

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二階堂氏最後の須賀川城主 大乗院の墓所

「伊達晴宗娘阿南、須賀川城主二階堂盛義室、夫死去後
城主となる。天正十七年、甥の伊達政宗侵攻により落
城、佐竹氏を頼り、のち須賀川に住む。慶長七年没。」

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釈迦堂川、八幡崎城方面

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二階堂家荼毘場

二階堂家の荼毘場として戦乱で亡くなった二階堂家や家臣の霊を供養している。

長松院境内に土塁と空堀が残っているという。17時過ぎで真っ暗。予定の時刻を過ぎている。長松院近くを通り二階堂神社に戻る。

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御神火隊が二階堂神社を出発した。

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2016年11月14日 (月)

二本松の菊人形

11月12日(土)

週末パス利用(8730円)
新宿(4:44)→池袋(4:52)
池袋(5:02)→赤羽(5:10)
赤羽(5:20)→宇都宮(6:51)
宇都宮(6:56)→黒磯(7:47)
黒磯(7:54)→郡山(9:01)
郡山(9:24)→二本松(9:46)

二本松の菊人形会場、霞ヶ城公園まで歩く。シャトルバスも出てるけど、バスを待つより歩いたほうが早いから。

入場料 一般700円

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懸崖

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千輪咲

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第62回 菊の祭典
二本松の菊人形
天晴 \あっぱれ!/ ニッポン!
世界に誇れる日本人

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~郷土の偉人 野口英世~

 『千円札の肖像画でおなじみの野口英世は、1876年、磐梯山や猪苗代湖がある福島県猪苗代町に生まれました。
 1歳半の時に大やけどを負い左手が不自由となりましたが、母のシカや恩師の激励と支援によりその苦難を克服しました。16歳の時に左手の手術を受け医学のすばらしさを実感し、自らも医学の道を志しました。
 1900年にアメリカに渡り、ロックフェラー研究所で細菌学の研究を行い、世界で活躍する細菌学者となりノーベル賞の候補にも挙がりました。
 1928年、西アフリカのアクラ(現ガーナ共和国)で黄熱病の研究中に感染し亡くなりました。
 猪苗代町にある野口英世記念館は、2015年、展示室を一新し貴重な資料や映像で、野口英世の生涯と業績を分かりやすくお伝えしています。なかでも野口英世が挑んだ細菌の世界をゲームやタッチパネルを通して学ぶ「体験!バクテリウム」など体験型の展示が加わり、子どもから大人までどの世代でも楽しめる博物館に生まれ変わりました。』

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~郷土の偉人 朝河貫一と安達太良山~

 『朝河貫一は1873年二本松生まれの歴史学者です。
 中学時代に英語の辞書を暗記し覚えるごとにそのページを食べて、最後に残った表紙を校庭の桜の根元に埋めました。やがてこの桜は「朝河桜」と呼ばれるようになりました。
 1895年に大隈重信、勝海舟等の援助を受け、後に二本松市の姉妹都市となるアメリカのハノーバーにあるダートマス大学に入学し卒業しました。
 1941年、日米開戦を避けるため、米国大統領ルーズベルトから昭和天皇宛てに親書を送るよう働きかけ、その草案を作りました。
 「平和の提唱者」としての業績から「海を渡ったサムライ」といわれています。
 日本百名山と花の百名山に選ばれている安達太良山(標高1700m)は福島県の中央部を南北に走る奥羽山脈に属しています。二本松市にある奥岳登山口には8合目(標高1350m)まで登れるロープウェイがあり、例年10月上旬から中旬にかけて8合目にある薬師岳パノラマパークから一面紅葉の景色をお楽しみいただけます。』

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~平安の女流文学者~

 『小野小町は「六歌仙」、「三十六歌仙」の一人で在原業平に次ぐ歌人といわれ、「古今集」に十八首の歌があり、その歌は情熱的で感性を良く表しているといわれています。
 また、伝説的に非常な美人といわれ、各地に多くの伝説が残っています。

 清少納言は和歌に詳しく、漢字の知識も深く、天性の機知があって、仕えていた一条天皇の中宮・定子に寵愛されました。
 「枕草子」はその仕えていた十年間の宮廷生活を中心に自然の移り変わりや、貴族の生活について書き綴ったもので、随筆文学の傑作と言われています。

 紫式部は一条天皇の皇后・彰子に仕え、その宮廷生活での見分や経験から「源氏物語」を書き始め、書き進めるうちに評判が高まり才能を認められました。
 「源氏物語」は二代に渡る主人公の栄華と没落を語り、「世の無常を著す」物語文学の最高傑作といわれ、日本文学史上、不朽の名作と評されています。』

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~天下餅~

 『「三つ葉の葵の風が吹く、織田がつき羽柴がこねし天下餅、座りしままに食うは徳川」これは1850年ごろの落首で、徳川家康に対する風刺やあざけりを込めた狂歌です。

 織田信長が苦労して乱世を終息させようと天下統一事業を進め、それを受け継いだ羽柴秀吉がやっと完成したものを徳川家康がやすやすと手に入れたという意味です。
 信長は18歳で家督を継ぎ、室町幕府を滅ぼし天下統一を目指しましたが、本能寺で明智光秀に襲われ、無念の内に自刃しました。

 秀吉は百姓の出で、信長に仕え武功を上げて認められ、信長が殺されたと聞き、急遽戦場から引き返し光秀を討ちます。次第に権力を握り、1590年ついに天下統一を果たします。

 家康は6歳から織田氏・今川氏の人質とされ苦労しましたが、1560年今川義元を破り独立し、秀吉の死後に江戸幕府を開き100年以上も続いた戦国時代に終止符を打ちました。』

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~命のビザ~

 『杉原千畝は「東洋のシンドラー」と呼ばれている日本の外交官です。
 第二次世界大戦下、赴任先であるリトアニアの日本領事館の領事代理であった杉原千畝が、ドイツ・ナチスによる迫害が迫るユダヤ系ポーランド難民に独自の判断により、大量の日本通過ビザを発給し、亡命を手助けして多くの命を救いました。
 シンドラーとはドイツ人の実業家の名前で、ドイツ占領下のポーランドで、自分の経営する軍需工場に、多くのユダヤ人を労働者として雇い入れ、身元保証人となって1,200人以上の命を救いました。
 こうした行為になぞらえて、杉原は「東洋のシンドラー」と呼ばれるようになりました。
 外務省外交史料館に記されたビザ発給表によると、1940年7月9日から8月26日までの間、2,139通のビザが発給されました。ビザは一家族に1枚で有効であったので、彼によって救われた命は6,000人とも言われています。』

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~輝く女性たち~

 『明治新政府が発足したとは言え、まだまだ封建的で男性中心の時代に、女性の地位向上のために活躍した女性たちがいました。

 新島八重(山本八重)は戊辰戦争・会津籠城戦で自ら銃を手に戦い、戦後、新島襄と結婚し、日本初のキリスト教大学・同志社の創設を支え、自らは女子の社会進出を応援しました。

 大山捨松(幼名 山川さき)は会津藩国家老の娘で、会津籠城戦では8歳で負傷兵の手当てや炊き出しを手伝いました。11歳で米国に渡り11年間の留学の後、大山巌と結婚。その後、鹿鳴館外交に尽くし鹿鳴館の華と言われました。

 津田梅子は大山捨松、永井しげらと初の海外女子留学生として米国に渡りました。共に勉学に励み、帰国後、捨松らの支援を受けて女子英学校(津田塾大学の前身)を創設。3人は外国との重要な接点であった鹿鳴館で、語学や洗練されたマナーを武器に活躍し、後々まで日本の女子教育の発展に寄与していきました。』

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~浮世絵師~

 『「浮世」とは「現代風」という意味で、「浮世絵」とは世情を描く風俗画の事であり、3人は江戸後期の代表的な風俗画家です。

 喜多川歌麿は当初、浮世絵を描いていましたが、歌麿を名乗ってからは美人画家になり、女性を通して理想の美を追求し、後に「美人画といえば歌麿」といわれるほどになりました。

 「富嶽三十六景」が有名な葛飾北斎は、少年時代に木版画を学びながら多くの画法を学び、日本・中国・西洋の画法を採り入れて、北斎風といわれる画風を作り上げました。旅行好きで多くの風景画を描き、表情豊かに多くの役者絵を残し、ゴッホなどの西洋の印象派絵画にまで影響を与えました。

 「東海道五十三次」で知られる安藤(歌川)広重は、幕府の火消し組(現在の消防組織)に勤めながら絵を学び、27歳の時に歌川派の浮世絵師に転じました。西洋の遠近法を学び、風景画に新しい様式美を創造して風景画という新しい世界を開きました。』

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~国家体制の確立~

 『聖徳太子(574年-622年)は飛鳥時代の政治家で日本の国家体制を整え、文化の発展に尽くした日本文化の指導者です。
 太子は第31代・用明天皇の皇子で厩戸皇子(うまやどのおうじ)といい、生前には太子という呼称はなく、没後100年以上経て、史書で呼ばれるようになってからそう呼ばれるようになりました。
 第33代・推古天皇(女帝)のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、遣隋使を派遣するなど、大陸の進んだ文化や制度を採り入れて、「冠位十二階」や「十七条憲法」を定めるなど、天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図りました。
 また、仏教を厚く信仰し、法隆寺を始めとして全国に多くの寺院を建て、仏教の興隆に努めた事から「日本仏教の祖」とも言われています。
 太子が摂政としての30年間、政治を行った頃の都が大和(奈良県)の飛鳥に在ったことから、この時代を飛鳥時代と呼びます。』

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~天地明察~

 『江戸時代、まだ地球が丸い事すらほとんど知られていない時代、天体の謎に挑んだ男がいました。その名を安井算哲(別名 渋川春海)といいます。算哲は徳川幕府・碁所四家の一つ安井家に生まれ、12歳で四代将軍家綱の御前で碁を打ち、13歳で本因坊道策と御前対局をしました。
 当時は算術の難題を神社の絵馬として奉納する習慣があり、解答が正しければ出題者が「明察」と添え書きをしました。
 算哲は会津藩主・保科正之や徳川光圀に見出され、改暦に従事することになります。当時は中国から800年以上も前に伝わった暦を使用しており、既に2日のずれが生じていました。
 妻・えんの支えもあり算哲が改暦を託されてから、日本独自の大和暦を完成し、「貞享暦」として施行されるまでに、実に22年の歳月を要しました。』

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(記念撮影用)

二本松少年隊

 『板垣退助率いる新政府軍は、北上して二本松に迫りました。二本松藩の主力部隊は「白河城攻防戦」に出陣中で、城下は空虚同然でありましたが、この緊迫した状況のもと、少年たちのかねてからの出陣嘆願を受け、二本松藩独特の制度「入れ年制度」により十三歳まで出陣を認め、大壇口の戦いでは隊長木村銃太郎門下生を含む十七歳以下の六十二名が出陣しました。』

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福島ビエンナーレ 重陽の芸術祭
巨大アート作品 「花の女神 フローラ」
ヤノベケンジ+増田セバスチャン作

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午前11時と午後2時に目覚め、立ち上がります(約5分間)

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菊松くん

外国の団体さんが来てました。アフリカとか? 聞いたことのない言葉でした。

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杉乃家 なみえ焼きそば(650円)

二本松駅前、二本松市市民交流センター内で営業されています。太麺・豚肉・もやし・甘辛ソース、うまい! しばらく食べたら、にんにく七味をかけるとまた格別。

二本松(12:42)→郡山(13:07)

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郡山駅前のセブンイレブンで福島限定nanacoカードを手に入れた。発行手数料300円。46都道府県(沖縄除く)限定ご当地nanacoカードで、福島nanacoは11月11日に発行されたばかり。nanacoカード作ろうかなと思ってたところで、ちょうどよかった。

あかべぇ・キビタン・桃・相馬野馬追・鶴ヶ城・三春滝桜

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2016年11月 3日 (木)

グランデコリゾート

10月23日(日)

新幹線 東京(6:20)→郡山(7:56) 指定席4200円

福島バス物語 『№44 【郡山駅発着】さあ、高原のリゾートへ!錦秋に染まる極上のリゾート「グランデコリゾート」で1日満喫パック!』(3580円)を金曜日の夜に申し込んだ。前日の17時までの申し込みなので23日しかなかった。郡山駅前バス案内所で乗車券を購入。

当日の行程
郡山駅前(9:00発)⇒グランデコスキーセンター(10:36着)…グランデコスキーセンター、裏磐梯グランデコ東急ホテル(パノラマゴンドラ・温泉・ランチを満喫)…グランデコスキーセンター(15:31発)⇒郡山駅前(17:07着)
※復路は「裏磐梯グランデコ東急ホテル15:30発」または「グランデコスキーセンター15:31発」のどちらでも乗車できる。

郡山駅前(9:00発)→国道49号で猪苗代方面へ

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マラソン大会で右折できない。翁島駅近くを通って遠回り。

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磐梯山は見えなさそう。

グランデコスキーセンターに少し遅れて到着。ぽつぽつ雨が降っている。

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売店でゴンドラ往復券とデコクーポン(1000円分)を引き換える。デコクーポンは、ホテル売店、ラウンジ、ホテルレストランランチ、温泉、温水プール、スキーセンター売店、ゴンドラ山頂レストランブナブナなどで使用できる。

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ゴンドラ山麓駅(標高1010m)を出発。ゴンドラは6人乗りだが、相席ではなく一人で乗る。

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横の窓は水滴が少ない。天気がよければ紅葉がもっと美しかっただろう。

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スキーのゲレンデ。よくこんな急斜面すべれるな。

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後ろはこんな景色。

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もうすぐゴンドラ山頂駅(標高1390m)。片道15分のゴンドラ、天気は残念だったけど楽しかった。

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レストラン「ブナブナ」からの眺め

けっこう雨が降っていたんで、レストラン「ブナブナ」でランチにしよう。

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天空の石窯ピザ デコマルゲリータ(1380円)

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レストラン「ブナブナ」

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天気は期待できなさそうだが、展望台へ。

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やっぱり見えません。

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晴れてればこんな感じ。

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ゴンドラ山頂駅近くに戻ると、急に天気が良くなってきたから、急いで展望台に戻る。

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猪苗代湖が見えただけでも良しとしよう。

天気が回復するかなと思って、しばらく粘ったがあきらめた。

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再びゴンドラに乗る。

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帰りはいい景色でした。

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ゴンドラ山麓駅近くから

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駐車場

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裏磐梯グランデコ東急ホテル

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ブランコに乗って撮った写真

デコ平温泉「ぶなの湯」(日帰り入浴1000円、フェイスタオル付) デコクーポンを使用。単純泉で、内湯と露天風呂があった。温泉に肩までつかり、じっくり温まる。温泉入口にマッサージ機が3台あって、追加料金なしで利用できた。

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パークゴルフ場

裏磐梯グランデコ東急ホテル(15:30発)→

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結局、磐梯山はよく見えなかった。

→郡山駅前(17:07頃着)

新幹線は2時間先まで指定席が埋まってたから各駅停車で帰る。
郡山(18:23)→赤羽(21:57)

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