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2018年5月 4日 (金)

会津坂下町(1)

4月29日(日)

会津坂下町役場でマンホールカードをもらった。休日は日直窓口、平日は建設課上下水道班で配布している。
 
ホテルを18時で予約している。現在17時、どこで食事しようか。
 
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坂下ドライブイン
 
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桜焼肉定食 950円
ノンアルコールビール 350円
 
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サービスで馬の煮込みをいただいた。夜の時間帯だから、「お通し」として出てきたと思ったら、ランチの時間帯でも出てくるそうだ。馬の焼肉はタレが濃いめでご飯が進む。炭酸とよくあう。今度は刺身定食を食べてみたい。
 
ホテル、サンロードばんげに泊まる。4500円
 
4月30日(月・祝)
 
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会津坂下町 マンホールカード
 
約400年続く坂下初市(毎年1月14日)の奇祭「大俵引き」をモチーフにした。下帯一本の男衆が東西に分かれ、長さ4m、高さ2.5m、重さ5トンの大俵を引き合う。上町(東方)が勝つと米の値段があがり、下町(西方)が勝つと豊作になると伝えられている。
 
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カラーマンホールの実物は、坂下中央浄化センター(舘ノ下)にある。マンホールカードに載ってる緯度経度をグーグルマップで検索。マップには建物の横にあると表示されていたが、実際は少し離れた場所にあった。
 
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カラーマンホール
 
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隣に別のカラーマンホールもあった。
 
立木観音(恵隆寺)に向かう。
 
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大門遺跡
縄文時代中期末葉から後期初頭の建物跡が10軒発見された。現在は広場として整備されている。
 
現在8時15分、拝観は9時だから早すぎた。心清水八幡神社に行って9時になるのを待とう。
心清水八幡神社、参道の鳥居をくぐる。旧荻藩士 吉田松陰遊歴の碑があった。
 
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 『吉田松陰 東北遊日記 碑文解説』
 
 『吉田松陰は、山口県 萩藩の山鹿流兵学師範であったが、脱藩して肥後藩の宮部鼎三と共に、東北を遊歴した。時は嘉永五年(一八五二年)旧二月六日(今の暦では二月二十五日)に、本神社に参り宝物を拝観し 二十三歳であった。
 祠官 戸内兵庫頭(現宮司の四代前の祖)を、日新館の師範であった高津平蔵の紹介で訪れた。翌日は束松峠を越え、越後(新潟)を経て東北を一周した際の道中日記である。
 後に萩藩に帰り、松下村塾を継いだ。安政六年(一八五九年)十月「安政の大獄」で刑死し、三十歳であった。
 この記念碑は、本神社の九百三十年祭事業の完了を祝って造り、松陰の直筆本を影写した「東北遊日記」(国学院大学図書館にある)から、二倍に拡大した。以下の解説の読み仮名や括弧の中の説明は、読み易くするために、神社で付けた。』
 
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會津大鎮守 心清水八幡神社
 
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由緒
 『天喜三年(一〇五五年)六月 源頼義・義家公が奥州征伐の時、山城国(京都)石清水八幡を当地に勧請し戦勝を祈った。功成り同五年義家公は社殿を建て、恒例の神事や祭礼を定め河沼郡総鎮守と祭った。以来、旧領主はもとより官民ともに崇敬あつく、社殿は金塗りの美をつくし、神主、社僧の奉仕により、神領に神役を定めたこと現存の宝物によって証することができる。
 寛文七年(一六六七年)保科正之公は神社制度を改め、社僧を廃し仏像や仏具を祭らず用いず、古来の唯一神道に復し、会津五大社の一として会津大鎮守、当地方三万石の鎮護と祭った。また社殿の修覆は藩主の寄進と定め、神事祭礼のため当村内に三十石を社領とした。
 天保十一年(一八四〇年)十二月 旧社殿炎上し、松平容保公は藩費にて御造営、文久三年(一八六三年)に御遷宮が行われ、本殿(奥の院)は会津盆地を一望の翠山の山上に総欅材で会津藩最後の建造物である。
 明治六年(一八七三年)には当郡唯一の郷社に列し、大正十三年(一九二四年)に至り県社に昇格した。また古くより戌、亥歳生れの一代守り神、卯の日が縁日であるから卯歳生れの守り神である。』
 
そろそろ9時、立木観音に行こうとしたが、神社の前の石畳がずっと続いているのが気になった。塔寺山いこいの森案内図に、展望台まで約10分とある。
 
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塔寺山いこいの森 展望台 あづまや
 
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会津磐梯山
もやがかかっているが、うっすら見える。
 
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国道49号線 会津坂下町中心部
 
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在来種のたんぽぽ発見
西洋たんぽぽとの雑種のようなのもあった。
 
心清水八幡神社に戻ると、雅楽の音楽が聞こえた。鳥のさえずりも心を落ち着かせる。
 
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国指定重要文化財 恵隆寺(立木)観音堂・木造千手観音立像
拝観料300円
 
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 『寺伝によれば、大同三年弘法大師(徳一)一刀三礼の一木彫で、我国最大二丈八尺(八米五十糎)の本尊を立木観音と呼ぶのは、今でも根株が仏像とつづいている一木によることからで、一本の木の芯を止め、枝を払い、皮をはぎ、根のあるままに彫刻されたからである。
 千手観音なので、子年生れの人の一代守本尊様であります堂内に「だきつきの柱」があり、この柱にだきついて心願すると、御利益あらたかなので「だきつき観音」と呼ばれ、更に、老人の後生安楽の心願から「ころり観音」とも呼ばれている。』
 
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国指定重要文化財 旧五十嵐家住宅
 
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江戸時代中期、会津平坦部の中堅農家(本百姓)の家構え。梁束に享保14年(1729年)の墨書きが発見され、建築年代が明らかになった。
 
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上宇内薬師
 
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国重要文化財 薬師如来坐像
 
『像高183cm、ケヤキ材の一木造の薬師如来坐像。
会津五薬師のひとつで、国宝勝常寺の薬師如来坐像の流れを組む平安時代の優れた作品。』
 
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事前に予約しないと見られない。2012年、クラブツーリズムのバスツアーで拝観したことがある。
 
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国指定史跡 陣が峯城跡
 
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 『陣が峯城跡は、会津盆地北西部に位置する平安時代末期(12世紀代)の城館跡です。城跡の平面形は台形を呈し段丘崖となる東側以外には二重堀が巡ります。
 城跡内部の規模は東西約110m、南北170mの広さで、入口部である西側だけに土塁があります。』 
 
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『発掘調査により、北側に主殿と考えられる大型の建物跡が存在し、そこからは中国産白磁四耳壺・水注、高麗青磁などの奢侈品と、税金の基準となる権(秤の錘)などが出土しています。また、東側には厨跡と考えられる建物が存在し、そこからは火災により炭化した椀・盤と大量の飯類・穀豆類が出土しました。南側からは堅く締まった面が広がっており、ここは馬場のような広場が考えられました。
 このような立地で二重堀の巡る城跡には、奥州藤原氏の拠点である岩手県平泉の柳之御所遺跡があります。この時代の会津坂下町は摂関家領の蜷河荘(いながわのしょう)であることから、ここにはその中心的施設が置かれていたと考えられます。』
 
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鶴沼川
亀ヶ森・鎮守森古墳を見に行く。

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コメント

あかべぇさんビールいけるようになったのかと思いましたよ。

陣が峯行かれたんですね。
たまたまいた職員に聞いたら「掘っちゃいけない、潰しちゃいけない、何が埋まってるかわからない、とりあえず指定しちゃえってことになったんですよ」そういうノリでしたよ。

投稿: ジャン | 2018年5月 4日 (金) 14時10分

夜の時間帯はドリンク頼まないと利益出ないのかもと思いまして。

陣が峯城跡はついでに寄ってみたという感じで、こんな立派な二重堀が残ってるとは思いませんでした。白磁の壺など状態がよさそうですし。

投稿: あかべぇ | 2018年5月 5日 (土) 20時02分

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