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2018年9月24日 (月)

泉崎村、矢吹町

9月22日(土)

週末パス 8730円
新幹線 大宮(7:58)→郡山(8:55)自由席2590円
 
3連休の初日だからか、3つ並んだ席の真ん中しか開いていなかった。
宇都宮を過ぎて車内販売が来た。通路側の客がテーブルを開いてサンドイッチとコーヒーを食べ始めた。次の郡山で降りる(新白河は通過)んだけど、それまでに食べ終えてくれないかなと、薄目を開けて様子をうかがった。次は郡山のアナウンスで、両隣がテーブルを片付け始めた。通路側と窓際の客も郡山で降りた。
 
東北本線 郡山(9:05)→泉崎(9:30)
 
国道4号まで出て、矢吹町方面に歩く。キンモクセイの香りがして、秋を感じた。
 
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農産物直売所 はにわの里
泉崎村のイメージキャラクターは、はにわがモチーフ。いずみちゃん、推定1400歳。
みそかんぷら(小じゃが芋の味噌煮)、ラーメンおにぎり(具は麺・チャーシュー・なると・メンマ・ネギ)、がんづき(三角形の黒糖蒸しパン)を買った。
 
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道路の反対側に史跡みたいなのがあった。階段の上に説明板がある。はにわが出土した古墳なのかな。目の前は国道4号、車がビュンビュン通る。遠回りしてアンダーパスをくぐる。
 
原山一号墳
 『この古墳は土取のため東半分が失われていますが、後円部を南に向ける前方後円墳です。昭和48年に当時の小・中学生によって土取の断面から力士像埴輪が発見され、埴輪を持つ古墳として知られるようになりました。
 昭和56年に福島県教育委員会によって発掘調査が行われ、墳丘の周りをめぐる溝の中から横倒しの状態で「楯を持つ人」「琴をひく人」「踊る人」「冠をかぶる人」「盛装の女子」「鳥」などの形象埴輪や朝顔形円筒埴輪、円筒埴輪など多数の埴輪が出土しました。
遺体を埋葬した主体部は不明でしたが、出土した土器や埴輪の内容から5世紀後半~終わり頃につくられたもので当地方の首長の墓であると考えられています。
 なお、昭和56年の調査で出土した埴輪などの遺物は県立博物館で、小・中学生が見つけた力士像は泉崎資料館で展示・保管されています。』
 
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原山古墳(はらやまこふん)
 『原山古墳は、JR泉崎駅の東北約2.6km、国道4号線沿の丘陵上にあります。5世紀末(古墳時代中期末)から6世紀初のころに築かれた古墳と考えられます。発掘調査の結果、推定全長22m、後円部径12.5mの小型の前方後円墳で、東半分はすでに壊されていることが分かりました。福島県(県南地方)にこの時代、原山以上の古墳が知られていないことから、この地方を治めた人物の墓と考えられます。
 埴輪の大部分は円筒埴輪または朝顔形円筒埴輪ですが、後円部の先端とくびれ部(後円部と前方部が接する場所)からは人物埴輪、動物埴輪などの形象埴輪が出土しています。後円部の先端からは楯を持つ人と力士像が出土しました。【武人】いずれも古墳を守るという役目の埴輪です。さらには相撲でいう四股を踏むとあるように、土地を静める邪気を払う破邪の役割があったとされます。力士像は日本の相撲のルーツを示すもので、日本最古の力士の姿です。
 前方後円墳のくびれ部からは女子像、琴を弾く人、踊る人、冠を被る人、鳥(鶏または鷹)が出土しています。全体として王者の葬送の儀式の中で音楽が奏でられる場面を表しているようです。
 これらの埴輪群は人物埴輪が登場した直後の段階で、全国的に見ても大変貴重なものです。力士像は泉崎村資料館(当教育委員会事務局)で常時展示されています。他の埴輪は福島県立博物館で常時展示されています。福島県の指定文化財(平成12年3月31日)となっております。』
 
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原山古墳から見た農産物直売所はにわの里
 
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株式会社福南建設の敷地内にキビタンが背を向けて立っていた。ちょっとお邪魔して正面を撮ろうと思ったらクモの巣があって断念。会社前には花壇があり、道路からキビタンが見えるようにという配慮なのでしょう。台座には平成7年ふくしま国体まであと○○日といった内容が書かれていた。
 
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観音山磨崖供養塔婆群入口
セブンイレブン矢吹インター店の裏あたりに入口がある。
 
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東北自動車道の真下にある。
福島県指定史跡 観音山磨崖(まがい)供養塔婆群
 『この供養塔婆群は、高さ約40メートルの観音山丘陵の東端に南面している。丘陵下を流れる二瀬川の浸食によって溶結凝灰岩が約50メートル幅に露出し、高さ10メートル、幅38メートルの範囲に岩をけずって供養塔婆320基が7段に造られ、おおよそ25のグループに構成されている。
 この塔婆群の中には鎌倉時代独特の「ヤグラ」(壁面をくりぬいて、五輪塔、板碑などを彫出したもの)の系統が見られる。漆喰の上に極彩色の塔婆2基、墨書紀年銘「弘安八年」(1285年)の塔婆、浮彫阿弥陀三尊来迎塔婆各1基、陰刻線彫り五輪塔3基などは、中世の東北宗教史上、石造美術史上きわめて重要なものである。』
 
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「危険立入禁止 壁面が崩れており大変危険な為立ち入りを禁止します。」(カラーコーン近くから撮影)
梵字、陰刻線彫り五輪塔らしきものが見える。
 
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五輪塔
高速道路の向こう側にもカラーコーンがある。高速道路のアンダーパスをくぐって、塔婆群へ続くと思われる道を発見。でも、雑草がボーボーであきらめた。
 
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高速道路近くに栗がたくさん落ちていた。イガを踏み、栗拾いを楽しむ。この中から大きい栗3個を持ち帰る。
手が汚れたのでセブンイレブンでトイレを借りる。ついでに、酪王カフェオレモナカ(アイス)を買った。
旧国道(旧奥州街道)を矢吹方面に歩く。泉崎村と矢吹町の境に旧国道松並木がある。
 
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泉崎村指定天然記念物 踏瀬旧国道松並木
 『この道は、奥州街道(旧国道)として江戸と陸奥を結ぶ主要道として使用されていました。
 大名が江戸に出向く参勤交代の際や旅人がここを往来する際の日除け・風除けとして、白河藩主松平定信が領内の街道沿いに2300本の松苗を植樹したのが始まりであると伝えられています。
 江戸時代には踏瀬宿(泉崎村側)から大和久宿(矢吹町側)に至る中ほどにちょうど一里塚が設けられていたとみられ、泉崎村側には現在も一里壇の地名が残っています。松並木は泉崎村から矢吹町へと連なりますが、矢吹町では「五本松の松並木」として知られています。
 現在の松並木は明治18年(西暦1885年)頃に捕植されたものです。』
 
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タマゴタケと思われるキノコ。確実に10cm以上ある。
 
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ハリガネオチバタケ?
実際の色はもう少しオレンジ色が濃かった。1cmくらいで軸の細いのがたくさん。他にもシメジっぽいのもあった。キノコ探しを楽しんだ。毒キノコだったら怖いので触りません。
 
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矢吹町指定天然記念物 五本松の松並木
 『寛永12年(1635)三代将軍徳川家光時代に、参勤交代が制度化し、全国街道筋に松並木を植えさせた。
 大名あるいは、旅人の往来はさかんになり、松並木は夏は陽をさけ、冬は風をよけて旅人の便をはかり、旅情をなぐさめた。
 矢吹町の松並木は、松平定信の時、領内の街道に松苗2300本を植えたのが始まりであるといわれている。
 現在五本松にある松並木は明治18年(1885)ころ捕植したものである。』
 
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戊辰戦争関門跡
 
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奥州街道絵図『奥州道中増補行程記』大和久宿より
もりおか歴史文化館収蔵
 
 『慶応4年(1868)、戊辰戦争白河口の戦いにおいて5月以降、奥羽越列藩同盟軍は、新政府軍に占領された小峰城(白河城)を奪還すべく、攻撃を繰り返した。
 五本松は奥州街道の矢吹宿の南に位置し、戊辰戦争時、迎撃態勢をとる強固な場所として関門(南関門)が補強設置されたと思われる。
 出兵した水沢藩(現岩手県奥州市)の『軍事方日記』には、南関門を、農民・町人などが検断役の印を押した木札を下げて通る様子や、仙台藩の二小隊が関門を固めるため通過したことなどが記されている。
 上の奥州街道絵図から、関門は四方を見渡せるこの付近に置かれて、進撃する新政府軍に備えたと思われる。
 棚倉城を6月24日に占拠した新政府軍が、釜子陣屋に続き、この地も攻略した。矢吹宿は、6月29日仙台藩の撤退の際放火され大半が消失している。
 
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旧奥州道中跡 入口
 
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「旧道跡がはっきり残っており江戸時代からの道の雰囲気がただよう林。」
さっき通った七曲り方面に向かって歩いたが、大きいクモの巣があって引き返した。
 
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從是北白川領
矢吹町文化財 藩界標柱
 『白河藩領の境界を示す標柱で領内の主要な道筋に建てられた。本標柱は三面に刻字されている。
 
 『従是北白川領』(是れより北 白河領)
 『従是北中畑新田 村地境迄拾丁五拾四間』(是れより北 中畑新田村地境まで十町五十四間)
 『亀も首のばす汀や初日の出 米齢 多代』
 
 建立年代は不明であるが、大和久村が高田藩領に分領されたのが寛保二年(1742)であるのでその後であると推定できる。
 米齢(88才)多代の俳諧の刻字は、建立時ではなく、後世であると推定される。多代は須賀川大庄屋市原家七代俳人市原貞衛門の息女で女流俳人として名を成した(1775~1865)。米齢は文久三年(1863)となる。
 建立場所は、奥州街道筋、大和久村北はずれと推察するが、元中畑新田村大庄屋小針家庭園に保存されていたため不明である。一説によれば、明治15年頃(1882)陸羽街道(奥州街道)改修工事の際、道路拡幅のため邸内に移設されたという。現在位置は、字大和久と字中畑新田の境界付近に土地所有者の好意を得て移築した(2014年)。』
 
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矢吹町指定有形文化財 旧水戸街道常夜燈
 『この常夜燈は、文化8年(1811)に奥州街道中畑新田宿より水戸街道に分岐する道路上に近隣住民によって建立されたものである。刻字は摩滅しているが、その痕跡で知ることができる。
 江戸期になると、街道が整備され宿場も整えられ、その運営は地元住民の協力で行われていた。街道筋の常夜燈は、宿の入口や交差点などの路上に作られ、夜間絶やすことなく火を燈し旅の安全と道標として旅人の心を慰め続けた。
 電灯の発明、道路改修などにより石造常夜燈は姿を消した。現存する常夜燈は珍しい存在となっている。当常夜燈は幾多の変遷を経て住民に守られて現地点に近い私有地に改修移築したものである。』
 
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柏屋
途中でラーメンおにぎりを食べたが、歩き疲れて甘いものが食べたくなった。看板に載ってる「あん入りゆべし」と「銘菓矢吹の里」というクリームチーズ入り饅頭を買う。看板の表は「ごますり餅」、有名だそうだ。
 
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矢吹町道路元標
 「道路の起点、終点または経過地を標示するもので、旧道路法(大正8年法律58号)により設置されたものです。」
以前は空き地だった所が中町ポケットパークという公園になった。
 
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「みんなの家」トイレが併設してある休憩所。
みそかんぷらと菓子を食べて一休み。
 
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宍戸酒店
隠れ河原のかりん糖という看板が気になって入った。いろんな味のかりん糖があって迷ったので、久助かりん糖(ミックス)を買った。
 
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大池公園
矢吹町ふるさとの村芸術村で花の王国ふくしまキビタンフラワースタンプラリー2018の最後のスタンプを押す。
 
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県北 道の駅国見 あつかしの郷(8/14)
県中 あぶくま洞管理事務所(6/23)
県南 矢吹町ふるさとの森芸術村(9/22)
会津 道の駅にしあいづ・交流物産館よりっせ(6/24)
南会津 クラインガルテン下郷(9/9)
相双 まち・なみ・まるしぇ(8/12)
いわき いわき市海竜の里センター(6/9)
栃木 栃木県鬼怒グリーンパーク宝積寺(8/13)
茨城 水郷潮来あやめ園(6/3)
 
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おいしい矢吹マルシェ(9/19~10/16期間限定)
国道4号沿い 旧パチンコ店の跡地
柴田屋せんべい店の瓦せんべい(小さく刻んだピーナツを練り込んで焼き上げた)、梅の里おかきを買った。
 
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中畑清 前DeNA監督 等身大パネル
矢吹町出身、矢吹町名誉町民
 
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歩数計の電池残量少ないマークが点滅。みんなの家近くのセブンで電池を買って取り換えた。(小型ドライバーをいつも持ち歩いている)
 
矢吹(16:48)→新白河→黒磯→宇都宮(18:28)
宇都宮駅外の立ち食いそば屋で夕食。
宇都宮(19:04発)に乗って帰る。線路確認のため、20分近く遅れた。
地下鉄に乗らず歩いたら、3万歩を超えた。

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