« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »

2018年11月

2018年11月25日 (日)

小名浜

11月23日(金・祝)

東京駅⇔小名浜の高速バスが運行するようになった。(土休日3往復)
高速バスネットでネット決済すると3110円(キャンペーン価格)
東京駅八重洲南口(7:30)→小名浜(10:46予定)
 
Cimg9722
実際に着いたのは11時20分過ぎ。
 
Cimg9723
イオンモールいわき小名浜が、6月にオープンしてから初めて行った。福島県最大規模のショッピングモール。1階と屋上は駐車場、店舗は2~4階。
住所がものすごく長い。
福島県いわき市いわき都市計画事業小名浜港背後地震災復興土地区画整理事業地内
 
Cimg9726
「当モールは、東日本大震災の経験から、地震などによる災害時、営業時だけでなく閉店後の夜間もペデストリアンデッキ(歩道橋)と接続した店内通路や屋上などを開放し、一時的に避難者を受け入れる機能を有しています。」
 
Cimg9725
3階フードコート 幸楽苑 EXCELLENT
エクセレントチャーシューメン 637円
 
Cimg9731
周辺施設の観光客減少が気になる。いわき・ら・ら・ミュウが、お昼時なのに以前よりすいている感じがした。でも、思ったより観光客がいた。
 
Cimg9733
アクアマリンふくしま 1800円
イワシの大群、同じ方向に泳いでいる。10分くらい見続けた。
 
Cimg9738
エトピリカ
浮いている水鳥の水かきが見れておもしろい。泳ぎは水中を飛んでいるようだった。
 
Cimg9747
ツヤモロトゲエビ
深海のまぼろしのエビ。北海道知床の水深1000mで採集。
 
Cimg9750
ラウスツノナガモエビ
アクアマリン発見の新種エビ。北海道知床500~800mで発見した新種。
 
Cimg9751
ナメダンゴ
北海道沿岸からオホーツク海の冷たい海に生息。
 
Cimg9752
10月にオープンしたばかりの金魚館へ。
「いわきフラっこ」(パネル)
動き回る金魚は、コンデジでは撮れないと最初からあきらめた。
 
Cimg9756
いわき・ら・ら・ミュウ
 
Cimg9754
萬屋 揚げかまぼこ(各300円)
ねぎたこ・チーズ
 
帰りのバスの時間までイオンモールで過ごした。
小名浜(16:55)→東京駅日本橋口(20:48予定)
 
♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:
 
11月24日(土)
世界キャラクターさみっとin羽生2018に行った。
 
Cimg9761
キビタン
 
Cimg9762
石川町 石ころ多    須賀川市 ボータン
白河市 しらかわん   古殿町 やぶさめくん
 
Cimg9765
南会津町 んだべぇ   西会津町 こゆりちゃん
他に、かぼまる(金山町)、からむん(昭和村)、やぶきじくん(矢吹町)も来てた。

| | コメント (0)

2018年11月10日 (土)

二本松の菊人形

11月4日(日)

Cimg9637
第64回 菊の祭典
二本松の菊人形
 
Cimg9616
場面1 江戸城無血開城 
         ~西郷と勝の会談~
 
 【慶応4年1868年1月、鳥羽・伏見の戦いで敗れた幕府軍は、新政府軍が「錦の御旗」を掲げたことで「天皇の敵=朝敵」となってしまった。将軍・徳川慶喜は江戸に逃げ帰り、上野・寛永寺に謹慎し、恭順の意を表した。しかし、朝廷から追討の命が出され、有栖川宮熾仁(たるひと)親王が新政府軍の総大将として東に向かい、各地の旧幕府軍と戦うことになっていく。そしてついに江戸まで新政府軍が追ってきた。
 江戸城では、慶喜から後始末を命じられた勝海舟や薩摩出身の篤姫、皇室出身の和宮親王らが折衝にあたっていた。新政府軍を率いていた西郷隆盛は江戸城総攻撃を3月15日と決めていたが、9日に山岡鉄舟が慶喜の恭順の意を伝えるべく勝の書を持って西郷を訪ねると、その決死の覚悟に、交戦を避ける姿勢に変わった。13日、14日に西郷と勝の会談は実現し、江戸城は血を流すことなく新政府軍に明け渡され、江戸市民100万人は戦火を免れた。】
 
Cimg9620
場面2 奥羽越列藩同盟
         ~新政府軍への対抗~
 
 【奥羽列藩同盟が成立するのは1868年5月3日だが、4月4日、米沢藩・仙台藩家老の名前で奥羽諸藩に招集状がまわされ、既に同盟は動き始めていた。4月11日、奥羽14藩は仙台藩領の白石城において、「朝敵」とされた会津藩・庄内藩の救済について密談を重ねた。会津藩は京都守護職、庄内藩は江戸市中取締りとして旧幕府の要職にあり、薩摩・長州と対立したため、征討の対象とされた。この新政府軍の圧力に対抗するために結成されたのが奥羽列藩同盟であり、会津・庄内の朝敵赦免嘆願書を奥羽鎮撫総督府に提出した。
 しかし、17日、総督・九条道孝はそれらの嘆願を却下し、会津征討を命じたので、19日、奥羽各藩は会津征討軍を解兵し、朝敵赦免嘆願のための同盟を結ぶ事にした。
 5月3日、25藩により正式に奥羽列藩同盟が成立し、後に北越6藩も加わり、総勢31藩から成る「奥羽越列藩同盟」に発展した。】
 
Cimg9626
場面3 二本松少年隊エピソード
 
岡山 篤次郎 (13歳)
 【最初の木村銃太郎門下生。母に頼んで戎衣(じゅうい)をはじめ、手ぬぐいにいたるまで「二本松藩士 岡山篤次郎 十三歳」と書いてもらい出陣した。『母が屍を探す時にわかりやすいように。字が下手だと敵に笑われる。』との理由からだと伝えられている。】
 
上崎 鉄蔵 (16歳)
 【一時は大喜びしていたが、時がたつにつれて物思いに沈むようになり、これを見た母・スマはその訳を問いただしたところ『恥ずかしくない刀をもって戦いたい』とのことであった。上崎家には実戦用の両刀がなかった。鉄蔵の気持ちを汲み取った母は、すぐに実家に行き相州ものを調達し、鉄蔵に与えた。27日の朝、出陣する鉄蔵を母は祖母と共に見送り『行ってこいよ』と、いつものように声をかけると『行ってこいよではないでしょう。今日は行けでいいのです』と答えて玄関を出て、にっこり微笑み、ちょっと頭を下げると元気よく駆け足気味に立ち去ったという。】
 
Cimg9628
場面4 供中口の戦い
       ~農兵司令士の決断~
 
 【戊辰戦争の戦火は白河以北に達し、7月下旬には二本松藩領までに及んでいた。
 農兵司令士・三浦権太夫義彰は藩命により農兵約50人を率いて安達ヶ原の供中口(ぐちゅうぐち)を防備することとなった。
 勤皇の士でもあった義彰は、出陣の際に、両親に対して「天皇に対抗する意志は全くないが、藩命に反抗することもできない。一死をもって双方に臣節を全うする覚悟である」と告げたという。
 出陣姿は烏帽子に直垂(ひたたれ)、また、弓矢を携えていたものの忠節心から鏃(やじり)をはずした矢で応戦した。
 勝敗の帰結は早く、農兵を退去させたのち、一人丘に登り自刃しようとした時に流れ弾が当たり絶命、あるいは銃傷後に自刃したともいわれている。あとで義彰の屍を検死したところ、弓弦(つる)に辞世の句が結び付けられてあった。
 『あす散るも 色はかわらじ 山桜』】
 
Cimg9633
場面5 大壇口の戦い
     ~二本松少年隊の激戦~
 
 【7月29日の朝は、霧が深かったという。二本松兵と新政府軍との最初の接触があったのは午前6時頃で、大壇口陣地では杉田方面から砲撃が聞こえたとのことで、戦闘開始は8時半頃といわれている。新政府軍は組し易いと見たのか、隊列を組んだまま少年たちの眼下に姿を現した。
 『若先生 (隊長・木村銃太郎) まだですか。』少年たちは撃ちたくて気がはやる。『命令を待て、もっと敵を引き付けてからだ。』大砲には、木村銃太郎門下生の砲手・岡山篤次郎と成田虎治が付き、その傍らには銃太郎が毅然として立ち、他の少年たちは陣立てに身を潜め、銃を構え敵をにらんだ。
 戦闘開始後、ついに銃太郎が腰を撃ち抜かれる。
 銃太郎は『この重症では到底お城には帰れぬ。我が首を取れ。』と願った。少年たちは一緒に退却するよう懇願したが『押し問答する時ではない。早く切れ』と促し、副隊長が銃太郎の首を切り落とし、それをもって引き上げたという。
 わずか25人の少年での大壇口の戦いは、午前10時頃幕を閉じた。】
 
Cimg9636
大壇口の二勇士
 
Cimg9643
 
Cimg9674
場面6 二本松少年隊エピソード
 
成田 才次郎 (14歳)
 【二本松藩には初代藩主・丹羽光重以来、古くから「突き」の伝統があった。才次郎が出陣する時、父から『敵を見たら斬ってはならぬ。突け。ただ一筋に突け、わかったか。わかったら行け、突くのだぞ。』と教え諭され出陣したという。
 木村隊長に従って出陣した大壇口は激戦の末に破られ、負傷し憔悴しきっていた才次郎は、城の近くの松坂門まで戻った際に叔父に出会い、米沢に落ち延びるように言われるが、戦死した隊長や仲間の仇をとり、敵将を討つため、ふらふらと叔父の元を離れたという。そこに一隊の新政府軍を見た。
 新政府軍は、足元も定まらない才次郎を見て乱心していると判断し、気にも留めなかった。
 その時、才次郎は馬上の隊長を狙い、一気に脇腹を突いた。反射的に才次郎は撃たれる。
 突かれた小隊長は長州藩の白井小四郎であった。小四郎は息を引取る時、『敵ながらあっぱれな少年だ、殺すな殺すな』と言って絶命したと言う。】
 
Cimg9645
場面7 二本松城攻防戦
     ~信義を守った二本松藩~
 
 【二本松城に危機が迫っていた。7月28日夜、城内で軍議が開かれたとき、一部から降伏恭順の説も出たが、家老丹羽一学は『死を賭して信義を守るは武士の本懐』と徹底抗戦を主張した。
 しかし、二本松の城内は精鋭の大半が須賀川方面に出陣しており、城を守る兵力は甚だ少なく、老人と少年と町兵・農兵ばかりであった。大城代の内藤四郎兵衛は落城寸前まで城に残り、自焼を命じたのち、箕輪門を開き敵陣に切り込んだという。
 戊辰戦争後、新政府軍の隊長(参謀)板垣退助は、実際に二本松に攻め入った際の二本松藩士たちの戦いぶりを目の当たりにして二本松藩をこう評したという。
 『一藩こぞって身命を擲(なげう)ち、斃(たお)れてのち已(や)むまで戦い抜き、武士道の精髄を尽くしたのは二本松をもって最上とする。』】
 
Cimg9647
場面8 会津への進軍
      ~母成峠に向けて~
 
 【二本松藩を落としたのち、雪が降る前に会津を落としてしまおうという考えから1868年8月20日、新政府軍に会津攻撃の命令が下った。
 新政府軍は「会津は強い、先に仙台を攻撃する」とのうわさを流し、同盟軍を油断させた。
 8月21日早朝、新政府軍が約3,000の兵で会津国境の一つ、石筵の関門・母成峠に攻め込んだ。迎える会津軍は守備隊を4か所の峠に分散しており、母成峠は旧幕府兵や、新選組副長・土方歳三らなど約400人を主力に、二本松藩兵などを加え、総勢約800人で守っていた。
 安達太良山の麓に広がる母成峠は高地にある。会津国境の山々はすでに紅葉し、朝夕は冷気が包み、連日の秋雨の影響で視界は極めて悪かった。新政府軍はこの界隈の獣道に詳しい猟師を雇い、道案内につけ、同盟軍の背後に忍び寄り、急襲した。不意を突かれた同盟軍は、多くの死傷者を出し、退却を余儀なくされ、分散した。】
 
Cimg9663
場面9 鶴ヶ城籠城戦
      ~義に殉じた戦い~
 
 【1868年8月22日朝、「母成峠が破られた」との知らせが会津藩に入る。
 鶴ヶ城を守る兵士は、老人兵や少年兵、男装した女性兵など少数であった。会津藩は新政府軍の猛攻をなんとか防ぎきり、午後2時頃には藩境を守っていた会津藩の有力部隊が鶴ヶ城の危機を聞いて相次いで帰城し、鶴ヶ城の防衛力が回復して長期籠城戦に突入していく。
 しかしながら、兵力で勝る新政府軍は、鶴ヶ城下を包囲し、当時の最新式の大砲「アームストロング砲」で鶴ヶ城を狙い撃つ作戦に出た。
 のちに「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれた山本八重も男装してスペンサー銃で奮戦し、会津藩は一ヵ月にも及ぶ戦闘に耐え続けたが、援軍も見込まれない中、昼夜に及ぶ砲撃にさらされ、ついに9月22日、会津藩主松平容保は降伏を決意し、白旗が城門に掲げられた。】
 
Cimg9666
場面10 五稜郭の戦い
       ~戊辰戦争の終焉~
 
 【榎本武揚は旧幕府海軍副総裁として最後まで新政府軍に抵抗して戦った武人である。
 8隻の艦隊を率いて品川沖から脱走し、東北経由で函館にたどり着いた。新選組副長・土方歳三は会津・母成峠の戦いで敗れ、その後、榎本武揚の率いる艦隊と合流し、函館に向かう。
 榎本らは「五稜郭」を占拠し、「蝦夷共和国」樹立を宣言した。「旧幕府軍が函館を占領した」との知らせが江戸に届いたのは明治元年1868年10月末。直ちに討伐軍が派遣されたが、戦闘が始まったのは翌年3月。明治2年1869年5月、新政府軍の総攻撃が始まり、旧幕府軍は五稜郭に立て籠もって奮戦するが、土方が戦死すると、戦況はさらに悪化し、榎本らはついに降伏した。
 これにより、1868年1月より始まった戊辰戦争は終焉を迎え、明治国家確立への途が開かれた。】
 
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
 
11月10日(土)
新宿御苑新宿門横にあるインフォメーションセンター前の広場で
「新宿御苑ふくしま菊フェスタ」が開催され、「菊人形」の展示を見ました。
 
Cimg9687
 
Cimg9699
合戦場のしだれ桜と菊人形
 
Cimg9692
~二本松少年隊~
「戊辰の役において、奥羽越列藩同盟の信義のために貫いた二本松藩の守信玉砕戦は、他藩には見られない壮絶な最期でした。
なかでも、「二本松少年隊」は、明治の夜明け前に、愛する郷土そして家族を守るため、激戦の末に可憐な花を散らしました。この二本松少年隊は、正式に編成された会津藩の16歳から17歳からなる白虎隊とは違い、出陣を志願した13歳から17歳までの少年たちが緊急に配属されたため、正式な名称はなく、後に命名されたものです。」
 
Cimg9695
磐梯山ジオパークカレー(720円)
インフォメーションセンター内にある、カフェはなのきは、内装とテーブルに福島県産木材を使用している。福島県産の食材を使用したドライカレー。
 
Cimg9696
木戸川産 自家製スモークサーモン
 
新宿御苑の菊花壇展を30年ぶりぐらいに見ました。
 
Cimg9714
六角花壇(明治時代に作られていた花壇を復刻)
 
Cimg9707
懸崖作り花壇
 
Cimg9713
明治150年記念で菊栽培所を特別公開していた。新宿に生まれ育った私だが、ここに入るのは初めて。カラス除けのネットが張られている。菊花壇展は15日まで。

| | コメント (0)

2018年11月 6日 (火)

二本松

11月4日(日)

新幹線 大宮(8:10)→郡山(9:23)自由席2590円
東北本線 郡山(10:08)→二本松(10:30)
 
二本松の菊人形を見るために来たのだけど、ここ数日の食べ過ぎで体重増加中。ちょっと遠回りして、久しぶりに大壇口古戦場と大隣寺・二本松少年隊の墓に行こう。
 
Cimg9595
二本松市役所って、どんな建物だろうと思って行ってみた。住宅街の中にあって、シンプルな建物だった。展望台とかなさそうだし。
 
Cimg9601
市役所の近くに、小高い山のある公園をみつけた。山頂に樹木と何かの碑があった。
 
Cimg9597
二本松城跡
 
Cimg9599
安達太良山
 
Cimg9602
大壇口古戦場
 
Cimg9606
大壇口古戦場 二勇士の碑
 
 「ここが戊辰戦役に木村銃太郎を隊長とする二本松少年隊奮戦の地である。隊長はここで戦死、また少年隊を援護して壮烈な戦死をとげた青山助之丞、山岡栄治の二勇士の奮戦の地でもある。
 慶応4(1868)年7月29日未明、三春藩の突然の降伏により二本松の横腹を突く形となった西軍は、湖の如く二本松城下に押し寄せたが、血気盛んな壮年武士は各守備口に出陣しており、藩は止むなく少年隊の出陣を命じた。木村銃太郎の率きいる少年隊は12、3歳から、16、7歳迄の花も蕾の少年の一隊で、獅子奮迅の戦いは西軍をなやましたが、衆寡敵せず、維新の夜明けを前にして可憐な花を散らせたのであった。
 ここには少年隊と二勇士の碑があり、当時西軍の隊長野津道貫の歌
 うつ人も うたるる人もあわれなり 
        ともにみくにの民とおもえば
 と、陸軍大将従二位木越安綱の歌碑
 色かへぬ 松間の桜散りぬとも
         香りは千代に残りけるかな
がある。
 大壇口へ出陣した二本松少年隊は63名のうち、22名で、戦死者は隊長木村銃太郎をはじめ16名、戦傷者6名であり 戊辰戦史上特筆すべき一大決戦の地である。
                  二本松観光協会」
 
トイレ借りるついでに、ヨークベニマルでポテチ(こづゆ味)と味めしおにぎりなどを買った。こづゆポテチは、普通においしい。こづゆ味かどうかはわからないけど、また買おう。
 
Cimg9613
大隣寺
 
二本松藩主歴代の菩提寺。文化8年(1811)の大改築によって現有の本堂ができた。戊辰の役直後には、二本松藩庁の仮事務所や藩校などにも使用された。
 
Cimg9610
二本松少年隊の墓
 
 「慶応4年(1868)7月26日、三春藩の突然の降伏により二本松藩の横腹を突く形となった西軍は、湖の如く二本松城下に迫りつつあった。そのため藩は止むなく少年達の出陣を命じることとなり、12歳から17歳までの62名が緊急に各隊に配属され、西軍との応戦体制に入った。
 29日朝、隊長木村銃太郎・副隊長二階堂衛守の率いる少年隊士25名が出陣した大壇口で戦闘が開始された。少年隊の放つ速撃弾は次々と命中、大いに西軍を悩ましたが、多勢に無勢、新式銃を具備した西軍を前に徐々に戦況は悪化し、ついに隊長が敵弾に倒れ、戊辰戦争中最大の激戦・大壇口の戦いは終焉を告げた。その後、少年隊士は各々果敢に戦いを続け、敵弾に倒れ、また返り討ちにあい、計14名の戦死者を数えた。
 時代の流れとはいえ、維新の夜明けを前に義に殉じた純粋にして可憐な少年達、会津白虎隊に優るとも劣らない壮烈な戦死を偲び、その忠魂を讃え、心から冥福を祈る参詣者が今も絶えない。隊長・副隊長と14名の少年隊士の魂がここに眠る。」
 
Cimg9637
第64回 菊の祭典
二本松の菊人形
入場料 大人700円
 
『戊辰150年~信義×二本松少年隊~をテーマに、幕末、戊辰戦争などに関する出来事や人物などを、菊人形で表現します。
「江戸城無血開城」「奥羽越列藩同盟」「二本松の戦い」「鶴ヶ城攻防戦」など全10場面で構成されます。』
 
Cimg9616
場面1 江戸城無血開城 ~西郷と勝の会談~
場面2 奥羽越列藩同盟 ~新政府軍への対抗~
場面3 二本松少年隊エピソード 岡山篤次郎(13歳) 上崎鉄蔵(16歳)
場面4 供中口の戦い ~農兵司令士の決断~
場面5 大壇口の戦い ~二本松少年隊の激戦~
場面6 二本松少年隊エピソード 成田才次郎(14歳)
場面7 二本松城攻防戦 ~信義を守った二本松藩~
場面8 会津への進軍 ~母成峠に向けて~
場面9 鶴ヶ城籠城戦 ~義に殉じた戦い~
場面10 五稜郭の戦い ~戊辰戦争の終焉~
 
菊人形、詳しくは後日UPします。
 
Cimg9656
nihonmatsu MUM FESTIVAL  2018
にほんまつマムフェスティバル
 
『Mum(マム)とは「菊」の別名で、主に欧米で品種改良された菊が、「マム」と呼ばれています。近年では、重陽の節句や母の日、ブライダルなどでも使われ、二本松でも様々な色・形の「マム」が栽培されています。これまでの伝統的な菊のイメージと違った、様々なマムを使った作品の展示や体験ワークショップなど「マム」の魅力をご体感ください。』
 
Cimg9653
マムの迷路
 
Cimg9659
マムたまご
 
Cimg9661
フォトスポット
 
Cimg9670
菊花展示(内閣総理大臣賞)
 
Cimg9679
二本松市歴史資料館
「戊辰150年特別企画展 二本松藩と戊辰戦争」
観覧料 一般200円
 
丹羽和左衛門(城代・66歳)着用血染めの具足
床几(腰掛)に腰をおろし、軍扇を膝の上に広げ、割腹したのち内臓を軍扇の上につかみ出し、前屈みになって絶命したと伝えられている。
 
木村銃太郎肖像画、采配、陣笠、敵銃弾から身を守った天保銭・三徳などの展示を見た。
 
東北本線 二本松(16:21)→新白河(17:39)
新幹線 新白河(17:47)→那須塩原(17:57)自由席860円
東北本線 那須塩原(18:14)→宇都宮(19:00)
宇都宮線 宇都宮(19:04)→赤羽(20:34)

| | コメント (0)

2018年11月 4日 (日)

猪苗代、鶴ヶ城

11月3日(祝・土)

週末パス8730円
新幹線 大宮(6:30)→郡山(7:24)自由席2590円
高速バス 郡山駅前(7:30)→会津若松駅前(8:37)1100円
719系あかべぇに乗るために、高速バスで先回りした。
 
Cimg9526
H15+H12+フルーティア車両  H12に乗った。
会津若松(9:09)→猪苗代(9:36)
猪苗代観光協会でいなチャリ(レンタサイクル500円)を借りた。
 
Cimg9527
猪苗代町役場でマンホールカードをもらいに行く。その前に、マンホールカードに載ってる実物のマンホールを撮った。(猪苗代中学校の近く)
 
Cimg9529
グーグルマップで「37°33'17.1"N 140°06'37.2"E」を入力すれば位置がわかる。
磐梯山は少し雲がかかってる。
 
Cimg9531
猪苗代町役場(土日祝日は宿日直室)でマンホールカードと座標マンホール位置の地図をもらった。簡単なアンケートに答えた。アンケート集計結果が猪苗代町役場のサイトにあった。町内48名、県内276名、県外605名。年齢は40代が一番多く、60代、50代、30代と続く。
 
◇座標マンホールは平成29年度設置と比較的新しいため、他と比べるとキレイです。
◇天気が良い時は、座標マンホールの北西側に「磐梯山」を一望できます。
◇座標マンホール設置場所は道路整備中ですので、工事車両等にご注意ください。
○JR猪苗代駅周辺のレンガ歩道(インターロッキング)には、別デザインのカラーマンホールがあります。お時間があったらぜひ探してみてください。
 
Cimg9539
猪苗代城(亀ヶ城)跡の紅葉
 
Cimg9534
本丸
 
Cimg9535
土塁
 
Cimg9533
猪苗代城(亀ヶ城)跡があるなだらかな丘は、古磐梯火山のうち、赤埴山を造った火山活動(20万~40万年前)の時に噴出したマグマや火山灰がここまで流れてきてたまったものだそうだ。
 
Cimg9543
土津(はにつ)神社
磐梯山のふもとだからか、坂道が急で自転車を押しながら歩いた。
 
Cimg9544
藩祖・保科正之公を祀った神社。
三代将軍・徳川家光の異母弟。
 
Cimg9545
奥の院参道
奥の院まで500メートル(徒歩15分)
 
Cimg9547
奥の院
 
Cimg9552
会津中将源君の墓碑、
(奥)保科正之公墳墓(土津神墳鎮石)
 
Cimg9548
東日本大震災からの災害復旧
 
 『奥の院には会津藩主松平家初代の保科正之公を埋葬した墳墓があります。八角墳の墳頂には、笠石(16t)・竿石(16t)・台石で構成される八角形の土津神墳鎮石(以下「鎮石」)が据えられています。
 鎮石は平成23年3月11日の東日本大震災(本震)及び平成23年4月7日の余震により、竿石が大きく右回転しながら北側に移動し、上下端部の表面が部分的に剥落しました。さらに平成23年4月12日の余震でずれた竿石の重みによる圧力で台石北側が破損してしまいました。
 このため、平成25年度に災害復旧事業によって鎮石の修理を行いました。笠石・竿石のズレはそれぞれ解体、仮置きした後に建立時の位置へ復旧することとしました。
 各石材を吊り上げるクレーンが墳頂まで搬入出来ないため、降雪を利用した作業用の仮設道路を設置し、H形鋼と小型のクレーンを搬入して作業架台を組立てました。石材を養生し、必要に応じて石材補修や清掃を行い、再び吊り上げて建立時の位置へ復旧しました。』
 
Cimg9551
 
Cimg9554
土津霊神の碑
 
Cimg9556
 
Cimg9559
 
Cimg9561
土津神社の紅葉
 
Cimg9566
手打そば処 おおほり分店
 
Cimg9564
天盛そば 1400円
自家栽培、自家製粉100%そば粉の手打ちそば。
のど越しの良い新そばに、サクサクの天ぷら。
 
Cimg9567
磐梯山
 
猪苗代(13:29)→会津若松(13:58)
 
Cimg9576
 
Cimg9578
14:14発の快速郡山行き
 
Cimg9592
まちなか周遊バスあかべぇに乗り、鶴ヶ城へ。
若松駅前→鶴ヶ城入口(210円)
企画展「1868年の会津藩」を見た。
 
Cimg9582
鶴ヶ城の影
 
Cimg9588
紅葉
 
Cimg9590
鶴ヶ城喫茶コーナーに新商品、鶴ヶ城の銀シャチ焼き(150円)
たい焼きより皮がクリスピーで香ばしかった。
 
鶴ヶ城三の丸口→若松駅前(210円)
時刻表より遅く来たし、鶴ヶ城入口で大勢の客が乗り満席になった。
 
会津若松(17:10)→郡山(18:15)H-12に乗る。
東北本線で事故があったらしい。新白河行きが来てないし、行列が長い。あきらめて、新幹線で帰った。
郡山(18:59)→大宮(20:17)自由席2590円

| | コメント (0)

« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »