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2018年11月 6日 (火)

二本松

11月4日(日)

新幹線 大宮(8:10)→郡山(9:23)自由席2590円
東北本線 郡山(10:08)→二本松(10:30)
 
二本松の菊人形を見るために来たのだけど、ここ数日の食べ過ぎで体重増加中。ちょっと遠回りして、久しぶりに大壇口古戦場と大隣寺・二本松少年隊の墓に行こう。
 
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二本松市役所って、どんな建物だろうと思って行ってみた。住宅街の中にあって、シンプルな建物だった。展望台とかなさそうだし。
 
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市役所の近くに、小高い山のある公園をみつけた。山頂に樹木と何かの碑があった。
 
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二本松城跡
 
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安達太良山
 
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大壇口古戦場
 
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大壇口古戦場 二勇士の碑
 
 「ここが戊辰戦役に木村銃太郎を隊長とする二本松少年隊奮戦の地である。隊長はここで戦死、また少年隊を援護して壮烈な戦死をとげた青山助之丞、山岡栄治の二勇士の奮戦の地でもある。
 慶応4(1868)年7月29日未明、三春藩の突然の降伏により二本松の横腹を突く形となった西軍は、湖の如く二本松城下に押し寄せたが、血気盛んな壮年武士は各守備口に出陣しており、藩は止むなく少年隊の出陣を命じた。木村銃太郎の率きいる少年隊は12、3歳から、16、7歳迄の花も蕾の少年の一隊で、獅子奮迅の戦いは西軍をなやましたが、衆寡敵せず、維新の夜明けを前にして可憐な花を散らせたのであった。
 ここには少年隊と二勇士の碑があり、当時西軍の隊長野津道貫の歌
 うつ人も うたるる人もあわれなり 
        ともにみくにの民とおもえば
 と、陸軍大将従二位木越安綱の歌碑
 色かへぬ 松間の桜散りぬとも
         香りは千代に残りけるかな
がある。
 大壇口へ出陣した二本松少年隊は63名のうち、22名で、戦死者は隊長木村銃太郎をはじめ16名、戦傷者6名であり 戊辰戦史上特筆すべき一大決戦の地である。
                  二本松観光協会」
 
トイレ借りるついでに、ヨークベニマルでポテチ(こづゆ味)と味めしおにぎりなどを買った。こづゆポテチは、普通においしい。こづゆ味かどうかはわからないけど、また買おう。
 
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大隣寺
 
二本松藩主歴代の菩提寺。文化8年(1811)の大改築によって現有の本堂ができた。戊辰の役直後には、二本松藩庁の仮事務所や藩校などにも使用された。
 
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二本松少年隊の墓
 
 「慶応4年(1868)7月26日、三春藩の突然の降伏により二本松藩の横腹を突く形となった西軍は、湖の如く二本松城下に迫りつつあった。そのため藩は止むなく少年達の出陣を命じることとなり、12歳から17歳までの62名が緊急に各隊に配属され、西軍との応戦体制に入った。
 29日朝、隊長木村銃太郎・副隊長二階堂衛守の率いる少年隊士25名が出陣した大壇口で戦闘が開始された。少年隊の放つ速撃弾は次々と命中、大いに西軍を悩ましたが、多勢に無勢、新式銃を具備した西軍を前に徐々に戦況は悪化し、ついに隊長が敵弾に倒れ、戊辰戦争中最大の激戦・大壇口の戦いは終焉を告げた。その後、少年隊士は各々果敢に戦いを続け、敵弾に倒れ、また返り討ちにあい、計14名の戦死者を数えた。
 時代の流れとはいえ、維新の夜明けを前に義に殉じた純粋にして可憐な少年達、会津白虎隊に優るとも劣らない壮烈な戦死を偲び、その忠魂を讃え、心から冥福を祈る参詣者が今も絶えない。隊長・副隊長と14名の少年隊士の魂がここに眠る。」
 
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第64回 菊の祭典
二本松の菊人形
入場料 大人700円
 
『戊辰150年~信義×二本松少年隊~をテーマに、幕末、戊辰戦争などに関する出来事や人物などを、菊人形で表現します。
「江戸城無血開城」「奥羽越列藩同盟」「二本松の戦い」「鶴ヶ城攻防戦」など全10場面で構成されます。』
 
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場面1 江戸城無血開城 ~西郷と勝の会談~
場面2 奥羽越列藩同盟 ~新政府軍への対抗~
場面3 二本松少年隊エピソード 岡山篤次郎(13歳) 上崎鉄蔵(16歳)
場面4 供中口の戦い ~農兵司令士の決断~
場面5 大壇口の戦い ~二本松少年隊の激戦~
場面6 二本松少年隊エピソード 成田才次郎(14歳)
場面7 二本松城攻防戦 ~信義を守った二本松藩~
場面8 会津への進軍 ~母成峠に向けて~
場面9 鶴ヶ城籠城戦 ~義に殉じた戦い~
場面10 五稜郭の戦い ~戊辰戦争の終焉~
 
菊人形、詳しくは後日UPします。
 
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nihonmatsu MUM FESTIVAL  2018
にほんまつマムフェスティバル
 
『Mum(マム)とは「菊」の別名で、主に欧米で品種改良された菊が、「マム」と呼ばれています。近年では、重陽の節句や母の日、ブライダルなどでも使われ、二本松でも様々な色・形の「マム」が栽培されています。これまでの伝統的な菊のイメージと違った、様々なマムを使った作品の展示や体験ワークショップなど「マム」の魅力をご体感ください。』
 
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マムの迷路
 
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マムたまご
 
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フォトスポット
 
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菊花展示(内閣総理大臣賞)
 
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二本松市歴史資料館
「戊辰150年特別企画展 二本松藩と戊辰戦争」
観覧料 一般200円
 
丹羽和左衛門(城代・66歳)着用血染めの具足
床几(腰掛)に腰をおろし、軍扇を膝の上に広げ、割腹したのち内臓を軍扇の上につかみ出し、前屈みになって絶命したと伝えられている。
 
木村銃太郎肖像画、采配、陣笠、敵銃弾から身を守った天保銭・三徳などの展示を見た。
 
東北本線 二本松(16:21)→新白河(17:39)
新幹線 新白河(17:47)→那須塩原(17:57)自由席860円
東北本線 那須塩原(18:14)→宇都宮(19:00)
宇都宮線 宇都宮(19:04)→赤羽(20:34)

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