« 伊佐須美神社・鶴ヶ城 | トップページ | 野沢初市・猪苗代十三日市 »

2019年1月 6日 (日)

伊達市保原町高子・梁川町

1月5日(土)

東北新幹線 東京(7:44)→福島(9:39)4750円+自由席3680円
 
Cimg0066
阿武隈急行 福島(10:16)→高子(10:30)390円
 
Cimg0067
高子二十境
江戸時代中期の文人・熊阪覇陵(くまさかはりょう)が、とくに気に入った二十の場所に名を付け、漢詩に詠んだ。息子、孫もこれに唱和。父子三代で詠んだ漢詩は60題となった。息子は覇陵亡き後、父を慕いこの60の漢詩に、後に偉大な日本画家となる若き谷文晁(たにぶんちょう)の挿絵を付けて「永募編」(えいぼへん)と題して江戸で出版した。
 
年末寒波で福島積雪12月観測史上最高42センチに並んだ。この日の朝でまだ7センチ残ってる。高子でも日陰だと雪が残っている。高子二十境のうち、高子陂(高子沼)、丹露盤、白雲洞の3か所に行く。
 
Cimg0077
高子沼
 「かつて、高子地区の山々は有望な金鉱山でした。
 天正19年(1591年)、伊達政宗たちが豊臣秀吉に伊達郡ほかを召し上げられたとき、次の大名たちからその痕跡を隠すため、土手を築き、金鉱山精錬所を水底に沈めた時にできた沼が、高子沼の始まりといわれています。」
 
Cimg0075
高子陂(こうしひ)
春陂千萬項 幾客か魚を得て帰る
 高子知ぬ誰が子ぞ 空しく一釣磯を留む  覇陵
 
Cimg0078
地図②からの眺め
 
Cimg0079
伊達氏発祥の地
「常陸国の武将であり、源頼朝の家臣である常陸介入道念西(伊達朝宗)と4人の息子は頼朝の出陣とともに、配下として従軍し、息子たちの奥州合戦の功により伊達郡を賜り、伊達姓を称しました。これが伊達氏の発祥であり、鎌倉時代から、室町、安土桃山、江戸へとつながる伊達氏の礎をなしました。居城を高子岡に築いたとされ(高子岡城。高子岡館ともいう)、この地に亀岡八幡宮を建立しました。城域は北に張り出した小丘の一帯で北西側は断崖となっている独立丘陵であり、頂上からは周囲の平野部を見渡すことができます。」
 
Cimg0082
亀岡八幡宮
裏の階段を登ると丹露盤がある。
 
Cimg0084
丹露盤
 
Cimg0089
丹露盤からの眺め
 
Cimg0094
淡島神社
慶長16年、法印境宥教が薬師如来と共にこの地を奉祀したと伝わる。医薬・造酒の神、五穀豊穣の神として信仰されている。
 
淡島神社横の階段を登ると頂上に白雲洞がある。
 
Cimg0096
白雲洞(岩谷観音堂)
 
Cimg0103
大きな凝灰岩が露出し、いくつかの洞窟に観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来が祀られている。
 
阿武隈急行
高子(12:18)→やながわ希望の森公園前(12:34)390円
 
Cimg0106
梁川体育館前のキビタン
 
Cimg0111
梁川八幡神社に行ったら、本殿解体修復中だった。
 
Cimg0110
 「現在の八幡神社本殿は約270年の風雪に耐えてまいりましたが震災以降、雨漏り・損傷等が新たに見つかり調査をする中、予想を遥かに超えて思いのほか進んでいることが判明致しました。」
 
Cimg0113
からあげ伊達屋 梁川本店
 
Cimg0115
からあげ南蛮定食 680円
肉団子は、「食事の方はご自由におとりください」とカウンターにあった。
 
Cimg0117
 
Cimg0118
まちの駅 やながわ
特産品販売コーナーでラスクなどを買った。
 
Cimg0119
政宗ダテニクル(アニメ)
十七代伊達政宗
『「独眼竜」の愛称で親しまれている十七代政宗は、初代仙台藩主として杜の都仙台の繁栄を築いた人物です。梁川城への宿泊や梁川八幡神社への参拝を行うなど、伊達市にも縁の深い当主として知られています。
「政宗」の名前は伊達市中興の祖で、九代政宗にあやかりました。
弱冠24歳にして、誰もなしえなかった南東北の統一に成功した東北を代表する戦国きっての名将でした。一方で、詩歌・能・書道・茶道など文芸を広くたしなみ、教養豊かな文化人でもありました。』
 
Cimg0129
梁川城 北三の丸土塁
 
Cimg0127
「慶長5(1600)年に政宗は伊達郡奪取のため梁川城を急襲しましたが、須田長義らに撃退されました。北三の丸の土塁は特に高く、堀の幅も広く、伊達氏時代よりも堅固な城になっていました。」
 
Cimg0122
北三の丸土塁 右側の角
 
Cimg0131
浅間神社
伊達氏の祖、伊達朝宗が創建した。
 
Cimg0136
梁川城本丸跡庭園 心字の池
 
Cimg0138
福島県指定史跡及び名勝
梁川城跡及び庭園
 
 「梁川城は、伊達氏によって、鎌倉時代に築城されたとみられる。城跡からは十三世紀後半よりの遺物が出土しており、十四世紀末に活躍した大膳大夫政宗のころには、本城として使用されていた可能性がある。以後伊達氏は室町幕府との関係を深めつつ、持宗・成宗と勢力を拡大、大永三年(1523)伊達稙宗が陸奥国守護に補任されるに及んで、梁川城は奥州の政治的中枢を占めるにいたった。天文元年(1532)稙宗が本拠を桑折西山に移してからは、伊達領国の重要な支城となり、天正十八年(1590)蒲生氏の支城、慶長三年(1598)上杉氏の支城となった。そののち寛文四年(1664)廃城とされたが、文化四年(1807)から文政四年(1821)の間は松前章広の本拠地となった。
 明治三十二年に梁川小学校が本丸跡に移転し、第二次大戦以後は二の丸の地に中学校・高等学校などが建設され、城跡の景観は変えられたが、なお本丸跡土塁・同庭園・桜館跡(新公園)・三の丸跡などに往時の梁川城の姿が残されている。
 これまでの発掘調査によると、本丸跡からは、主殿など数期にわたる二十五棟以上の中世建物跡・堀・井戸・石敷などの遺構、及び陶磁器片・中国銭などの出土品が発見され、伊達氏以来の居館の存在が確認された。庭園も伊達氏居城の時代にまでさかのぼることが推定され、現存する城郭本丸の庭園の全国稀有の例として極めて貴重である。
 三の丸は、上杉期の慶長四年(1599)ごろまでに整備を終えたものと推定され、当時は侍屋敷がおかれた。現在土塁・堀などが残り、梁川城の現存する重要な部分である。  福島県教育委員会」
 
Cimg0140
 
Cimg0141
本丸跡
 
阿武隈急行
やながわ希望の森公園前(15:42)→福島(16:18)560円
北海道&東日本パス
福島(16:28)→新白河→黒磯→宇都宮→赤羽→新宿(21:50)

|

« 伊佐須美神社・鶴ヶ城 | トップページ | 野沢初市・猪苗代十三日市 »

福島」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 伊佐須美神社・鶴ヶ城 | トップページ | 野沢初市・猪苗代十三日市 »