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2019年6月12日 (水)

奥州街道 芦野~白河

6月9日(日)

今から330年前、1689(元禄2)年4月20日(新暦6月7日)
松尾芭蕉と弟子の曽良は下野と陸奥の国境を越えた。

2014年12月、境の明神に行ったことがある。
次は芭蕉が来た季節に、栃木県の最後の宿場町から歩いて
行きたいと思った。ちょうど梅雨入りシーズン、天気が気になる。
金曜日の時点で日曜の予報は曇り。週末パスを買いに行った。

「ちゃんと歩ける 日光街道 奥州街道」(山と渓谷社)を参考にした。
日光街道 江戸日本橋から宇都宮まで、6回に分けて歩いた。
奥州街道 宇都宮から芦野まで歩くかどうかは未定。
芦野→白坂(12.1km)白坂→白河(9.7km)を歩く。

新幹線 上野(6:26)→那須塩原(7:32)自由席2590円
宇都宮線 那須塩原(7:44)→黒磯(7:49)
東北本線 黒磯(7:54)→黒田原(8:03)
関東自動車(バス)黒田原駅前(8:10)→上野町(8:22)420円

芦野宿に一番近いバス停は一つ手前の芦野仲町バス停だが、
ガイドブックの起点に近いのが上野町バス停だった。
三光寺近くの関東ふれあいの道道標からスタート、8時25分出発。
芦野仲町バス停付近に公衆トイレがある。

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奥州道中 芦野宿
屋号が書かれた常夜燈が道の両側に設置されている。

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遊行柳

「室町時代の文明3年(西暦1482年)に、遊行上人がこの地に
立ち寄った際、柳の精が現れ、上人から十念を授けられ、成仏
したという伝説から遊行柳と呼ばれるようになったという。
江戸時代元禄の頃、俳聖松尾芭蕉が訪れ「おくのほそ道」に
記述されてから一躍有名になった。この柳の傍らに西行、芭蕉、
蕪村の歌碑・句碑が建てられており、今なお訪れる人は多い。」

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芭蕉の句碑

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田一枚植えて立ち去る柳かな

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遊行庵(休憩所)近くの田んぼ
機械ではなく、手植えしたとわかる不揃いな感じがいい。

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板屋の一里塚(東)

坂の傾斜を緩和する工事で掘り下げられた。
道の東西2ヶ所に残っている。
見上げないとわからない。何メートル掘ったんだろう。

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泉田の一里塚

西塚が残っている。下野国最北端の一里塚。

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県境まで1キロを切った。
馬頭観音 1859(安政6)年建立

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馬頭観音近くに旧道痕跡がある。ガイドブックではここを
通ることになっているが、草がボウボウで引き返す。
引っつき虫(種)だらけになりそう。

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明神の地蔵様

高台に座っておられる。下界を見下ろしているようだ。
グーグルマップで石段を数えると25段くらいあった。
もともとは同じくらいの高さだったのかな。

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県境が見えてきた。昔は、下野国と陸奥国の国境。
国境を挟んで境の明神二社が並立している。

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境の明神 栃木県側

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玉津島神社とよばれ、奥羽側の住吉神社と並立している。
明治39年の火災で類焼し、昔日の面影を失ってしまった。

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栃木県と福島県の県境
以前来たときはなかったが、福島の県境に温度計が設置された。
温度計は16.0℃を示している。街道歩きにちょうどいい気温だ。

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從是北白川領 境界石
11時32分、県境(国境)を越える。

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境の明神 福島県側

境内に奥州道中白坂宿のリーフレットがあった。
白坂宿の沿革、明治6年頃の地図には屋号も載っている。
それぞれの家の前に屋号が書かれた立て札があった。
前回来たときはなかった。

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玉津島明神と住吉明神

『玉津島明神(女神)と住吉明神(男神)は、国境の神・和歌の神
として知られ、女神は内(国を守る)、男神は外(外敵を防ぐ)
という信仰に基づき祀られている。このため、陸奥・下野ともに
自らの側を「玉津島を祀る」とし、反対側の明神を「住吉明神を
祀る」としている。』

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芭蕉句碑 風流の初めやおくの田植うた
(みちのくの田植歌こそ、白河を越えて最初に味わう風流だ。)

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白河の関へ続く分岐。芭蕉はここから白河の関跡へ向かった。

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白坂宿 脇本陣跡 岩井屋 戸上家
脇本陣(本陣の予備的施設 大名や勅使などの利用がない
ときは、一般客の宿泊にも供した。)

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本陣跡 河内屋 白坂家
本陣(大名や旗本幕府の役人、勅使、宮、門跡などの宿泊所と
された家 原則として一般の者を泊めることは許されない。)

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観音寺

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観音寺前に白坂宿の碑ができていた。リーフレットの内容と同じ。

一里段(地名)近くのセブンイレブンでトイレ休憩。
皮籠の一里塚はこの辺にあったらしいが、位置は不明。
焼つくねおにぎり、酪王カフェオレアイスもなかを昼食にした。
サントリー烏龍茶(サンドウィッチマンのイラスト、東北限定)も買う。
福島の桃(桃の木に登る伊達さんと収穫した桃を持つ富澤さん)
富澤さん「おだてなくても木に登るの?」
伊達さん「豚じゃねぇよ!」

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長州大垣藩戦死六名墓

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戊辰の役古戦場跡
「戦死墓」は会津藩士の墓

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会津藩家老西郷頼母の歌碑

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戊辰の碑 戊辰戦争白河口の戦い戦死者
両軍の戦死者全員の名前が刻まれている。

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稲荷山から奥州街道を望む

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白河宿 旧脇本陣柳屋旅館跡(蔵座敷)は前回行った。
勧工場建物跡(白河における初めての百貨店の建物)

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道標(複製)

 『本町にある奥州街道と棚倉・石川方面の街道が交わる
交差点、通称「四(ツ)辻」に建てられていた石造の道標です。
 白河城下を東西に走る奥州街道はここから北に方向を変え、
城下を出た女石の追分で会津街道と分岐し、桑折宿(福島県
桑折町)では羽州街道と分岐して仙台方面に向かいました。
 この道標は江戸時代後期の嘉永二年に建てられたもので、
北側・西側・南側の三面に文字が彫られています。奥州街道を
下る場合に目にするのは、西側に彫られている文字、上ってきて
四辻に達したときに目にするのは、北側に彫られている文字です。』

(西側)左 せんだい あいづ
      でハ(出羽)ゑちご(越後)
(北側)右 日光 江戸
      たなくら いハき 水戸 道
(南側) 嘉永二年己酉四月

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陸羽街道架道橋に大きな橋げたが架かっている。
国道294号の幅を広げるようだ。

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レンガ積み橋台(北)

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レンガ積み橋台(南)

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南側の橋台
断面がきれいになっているから、保存か移設するのかな。

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阿武隈川

国道294号 白河バイパス(仮称)新田町大橋工事中

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仙台藩士戊辰戦没之碑

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    ←旧会津街道      旧奥州街道→

幕府管轄の奥州道中は、白河宿の女石追分まで。
15時35分頃、女石追分到着。

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会津街道の方へ少し進むと道標(復元)がある。

右 仙たい松前道
左 会津ゑちご道

 『奥州街道は、当地・女石で仙台・松前方面の奥州道中と
会津・越後方面の会津街道(白河街道)に分岐した(ここより
手前100mが分岐箇所)。当地には、その分岐点として道標が
建てられていたが、時代の推移とともに失われてしまった。
 今般、この地の地理的、歴史的重要性に鑑み、当時の文献
「五街道中細見記」(安政五年・1858)等に基づき道標を
復元し、当時の史実を後世に伝えることとした。』

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旧会津街道を少し歩いてみよう。
さび付いた遊具。ジャングルジムは一部欠けている。

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国道4号につながった。いったん戻って旧奥州街道の続きを歩こう。

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遊女志げ女の碑

「しげは越後国三条の生れで、白河の旅籠坂田屋に抱えられて
いた。閏四月上旬に奥州鎮撫総督参謀の世良修蔵(長州藩出身)
が小峰城に入った際に世良と馴染みになったという。
 しかし世良は、白河は危険と察して白河を逃れた。その脱出を
助けたと疑われたしげは、世良を敵視していた会津藩士に殺害
されたという。享年二十二歳。法名を梅質貞顔信女と伝える。
 しげが殺されたと知った坂田屋の下男は会津藩士を追い、
この女石の地でしげの仇を討ったという。」

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阿武隈川 (仮称)新田町大橋工事現場

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↓女石追分            四ツ辻道標  白河駅→

以前から妙に道幅の広い道路だなと思っていた。
国道のバイパスになるんだ。

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国道294号 白河バイパス整備中(トンネル工事現場の看板)

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(仮称)五郎窪トンネル L=474m

白河(17:02)→新白河→黒磯→宇都宮→赤羽(20:00)

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