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2019年11月

2019年11月23日 (土)

達沢不動滝、母成峠古戦場跡

11月17日(日)

猪苗代町の達沢不動滝と母成峠に行きたいと思っていた。母成峠へは、不動滝の入口にある「戊辰の道」(ウォーキングコース)から行ける。なんで今まで行かなかったかというと、心霊スポットの噂があったから。紅葉は終わってるだろうから、来年にしようかと思っていると、青空に少し雪化粧した磐梯山が見えた。よし行ってみよう。こんなに天気が良ければオバケは出ないだろう。

週末パス 四ツ谷→東京→大宮
新幹線 大宮(8:34)→郡山(9:32)自由席2640円
磐越西線 郡山(9:38)→猪苗代(10:24)

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磐梯東都バス 稲苗代駅(10:40)→達沢(11:20)940円

運転手に滝を見に行くと言うと、少し上の転車場まで行ってくれた。
達沢大山衹神社にお参りして出発。11:29

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達沢森の石窯パン

達沢バス停から数分歩くとパン屋さんがある。天然酵母と国産小麦の石窯焼きハーブパン。大きめのパンで、値段は一つ500円前後。コーヒー味のパン(580円+税)をトングではさむとずっしり重かった。通常のパンの2~3個分ありそうなボリューム。店の方は、すりガラスの向こうでパンをこねているようだ。すみませんと声をかけた。声で西洋の方だとわかった。こんな田舎に外国の方がいてびっくりした。中から奥さんが出てきて会計をしてくれた。

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危険 山岳遭難に注意、熊出没注意の看板を見てビビる。未舗装の道路なので足元に注意して歩く。地面が乾いているからいいけど、水たまりがあったら、車の泥はねで汚れそうだ。11:44

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達沢不動滝入口が見えてきた。

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達沢不動滝風景林案内図

『達沢不動滝は、安達太良山系船明神山に源を持つ不動川にある滝です。高さ10m、幅16mにわたり、一枚岩の黒い岩肌を1枚のカーテンのように流れ落ち、その飛沫が本流にかかる豪快な「男滝」と、そのすぐ下流にひっそりとたたずむ優美な「女滝」からなります。対照的な表情を見せる二つの滝は、川沿いの展望所から望むことができるだけでなく、川へ降りて飛び石伝いに滝の落口まで行くことが出来ます。周囲を原生林に囲まれ、駐車場から滝までの整備された勾配のほとんどない参道と緩やかに流れる不動川をすぐ脇に見ながら歩くと10分ほどで厳かな雰囲気を漂わせている不動滝に到着します。
達沢不動滝と達沢原生林は、「ふくしま緑の百景」に選ばれています。達沢原生林は、ミズナラを主体とした多数の植物で構成されており、センノキ・シナノキ・ミズキ・イタヤカエデ・アカマツ・トチノキ等の老古大樹が森林の自然形態をそのままに残っています。集落の近くで原生林を見ることができるのはめずらしく、学術的価値も高いものです。』

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鳥居脇の立て札「これより奥パワースポット 達沢不動滝 パワーをいっぱいもらってお帰りください↑」とある。11:58

二つ目の鳥居をくぐってすぐに、「戊辰の道」がある。道の状態が悪ければ引き返すつもりだった。
トイレがあってよかった、ボットンだけど。和式2つ、小便器、別に仮設トイレもあった。

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手水舎の水は湧き水、水量多め。

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「猪苗代町の名所旧跡 達沢不動滝
安達太良山系船明神山に源をもつ不動川にかかる名瀑で、滝元には不動尊を祀っています。
岩肌に沿って水がスダレのように流れおちる勇壮な男滝と、その西側にひっそりとたたずむ優美な女滝が好対照を見せています。鬱蒼と繁る樹木に囲まれ、ふだんは荘厳な雰囲気が漂っていますが、新緑と紅葉の時期には特に美しく、多くの見物客で賑わいます。 猪苗代町」

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達沢不動明王

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女滝

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入口の案内板に、川へ降りて飛び石伝いに滝の落口まで行けるとあったが、展望所の先は立入禁止になっている。

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男滝

虹が出ている。肉眼で見ると、もっと色が鮮やかだった。

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石を抱いたサワラの大木

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「猪苗代町の名所旧跡 戊辰の道
この道は、江戸から明治への激動期の戊辰戦争のとき西軍(新政府軍)が、東軍(旧幕府軍)を追撃するため突破した道です。
会津への総攻撃は、慶応4年8月21日の朝、自然の要塞として頼りにされていた母成峠が破られたことから始まり、昼前に峠を占領した西軍は怒濤のごとく山道を下り、猪苗代を経て23日には若松城下へ進入。白虎隊の悲劇へとつながりました。 猪苗代町」

いざ、戊辰の道へ。12:41

いきなり倒木が2本あった。倒木の下をくぐり、急斜面を登る。狭いところは一人分の幅しかない。落ち葉で滑らないように注意して歩く。

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緩やかな上りになった。ちゃんと整備された道で安心して進む。突然、ひざに痛みが! 一瞬、刃で斬られたかと思った。(もちろん、斬られたことはない)予防注射ほどの痛さで、数十秒で痛みは治まった。場所が場所だけに、いろいろと頭をよぎる。いや、気のせい。枯れ枝を踏んで跳ね返っただけかも?

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この辺りの木は伐採されている。

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民家が見えて一安心。13:03

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歓迎 万葉の庭 入口

『猪苗代町の名所旧跡 東軍殉難者慰霊碑 万葉の庭
「東軍殉難者慰霊碑」は戊辰戦争の母成峠の戦いで戦死した東軍(幕府軍)の殉難者の霊を弔うため、昭和57年に「母成弔霊義会」の努力で建立されたものです。毎年、殉難者の命日である8月21日には厳かに慰霊祭が催されています。
「万葉の庭」は、万葉集に歌われた植物を中心に、山野草や湿原の花など約2千種もの植物を栽培し、自然植生観察園として一般開放されています。 猪苗代町』

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万葉の庭

東軍殉難者慰霊碑はどこにあるんだろう。「戊辰戦役東軍殉難者慰霊碑」という看板は見かけた。

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母成グリーンラインに出た。

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母成グリーンライン展望台駐車場

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戊辰戦役 母成峠古戦場   松平保定 書

東軍 大島圭介 田中源之進 丹羽丹波 土方歳三 以下八百名
西軍 板垣退助 伊地知正治 谷 干城 川村純義 以下三千名

「母成峠の戦いは 慶応4年(1868)8月21日 圧倒的な兵力を集中して 一挙に会津国境を突破しようとする西軍と天嶮に拠って あくまでもこれを阻止しようとする東軍との間に戦われた戊辰戦役中最も注目される戦いであった 西軍総数三千 これに対する東軍僅かに八百 戦いは前日の山入の戦いを皮切りに 濃霧の中終日行われたが 東軍は終に衆寡敵せず 北方高森方面西方猪苗代方面に敗退した
ここに百十余年前に思いをいたし この戦いに散った東西両軍の兵士百余名の霊を弔うと共に この戦跡を 永く後世に伝えるために この碑を建設するものである
 昭和57年10月6日
 母成両碑建設実行委員会」

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戊辰戦争 会津藩母成峠陣跡(遺構)

 「猪苗代町と郡山市熱海町との境に位置する標高972メートルの母成峠。ここには、会津藩と旧幕府軍が構築した遺構が残されています。北側部分は、上杉景勝・直江兼続時代に築かれた防塁で、戊辰戦争で再利用されています。そこに南側へ延長し、戊辰戦争時の塹壕(ざんごう)が付け足されています。全長384メートルあり、さらに東側に少し離れて30メートル残されています。また、営林署(森林管理署)が築いた火防壁もあります。
慶応4年(1868)8月21日(現在の10月6日)西軍は約3000人で母成峠へ攻め、会津藩と二本松藩、旧幕府の大島圭介・新選組ら約800人が守備していました。また、中軍山には会津藩の台場跡、勝岩には新選組の陣地跡もあります。 文・図 石田明夫」

戊辰戦争150年会津藩母成峠陣跡保存協議会 平成29年5月設置

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やっぱりあの辺に東軍殉難者慰霊碑があるんだ。帰りに探してみよう。

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階段

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ガードレール

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おなかがすいたので、さっき買ったコーヒー味のパンをちぎりながら食べる。堅めのパンなので、3分の1ほどで満腹になった。

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旧道

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ガードレールを通り越して、南側の塹壕まで来た。

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この辺が塹壕だろうか?

来た道を戻り、古戦場の中心へ。

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東側の防塁と火防壁が交差するところ(手前は火防壁)

木がたくさんあるので、これ以上奥に行かなかった。

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東側の防塁の上から(砲台方向)

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西側の防塁の上から(東側防塁方向)

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西側の防塁

斜面が急なので、旧道に降りずに散策路を歩く。

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階段を下りて、駐車場に戻った。

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「戊辰戦役東軍殉難者慰霊碑」の看板をよく見ると、下に赤い矢印(→)があった。

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矢印の方へ行くと慰霊碑があった。

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 「母成峠の戦いは、慶応4年(1868)8月21日、ここ母成峠周辺を戦場として戦われた。この日、本宮、玉ノ井村に結集を終った西軍は、兵を三分し、谷干城(土佐)の率いる凡そ千名は勝岩(猿岩)口へ、板垣退助、伊地知正治の率いる凡そ千三百名は石筵本道口へ、川村純義(薩摩)の率いる三百名は山葵沢より達沢口へ、一斉に進発した。これを迎え撃つ東軍は、総数僅かに八百名、勝岩口には、勝岩上に、大島圭介の率いる伝習第二大隊及び会・二本松兵併せて三百名が守備に当り、勝岩下には、新選組凡そ七十名を配置し、土方歳三・山口次郎がこれを指揮した。
 石筵本道口の第一台場(萩岡)第二台場(中軍山)第三台場(母成峠)には、会津藩主将田中源之進・二本松家老丹羽丹波、伝習第一大隊長秋月登之助らの指揮する会・仙・二本松及び伝習第一大隊併せて四百数十名が守備に当った。
 戦いは、萩岡の号砲を合図に、勝岩口と本道口に分れ、午前9時頃から凡そ7時間に及ぶ激戦を展開したが、圧倒的な兵数と火力の差は如何ともすることができず、東軍は、北方高森方面、西方猪苗代方面に敗退した。このため、西軍は、22日十六橋を突破し、23日戸ノ口原を経て、怒涛のように会津鶴ヶ城に殺到した。 東軍戦死者 88名 西軍戦死者 25名」

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戊辰戦役 東軍殉難者慰霊碑

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「慶応4年8月21日、母成峠の戦いの東軍戦死者の遺体は当時西軍のきびしい命令により埋葬を許されず戦後暫くの間、放置されたままになっていたがこれを見かねた近くの人々が西軍の眼をぬすんで遺体を集め仮埋葬した。その後この地は雑草に覆われてその所在がわからなくなっていたのを、百十余年後の昭和53年6月2日猪苗代地方史研究会の手によって発見された。その後子孫を中心として母成弔霊義会を結成し毎年慰霊祭を執り行ってきたが、昭和57年10月6日東軍殉難者慰霊碑建設と同時に長く保存することにしたものである。」

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「なき魂(たま)も 恨みは晴れて けふよりは
  ともに長閑(のどけ)く 天(あま)かけるらん」

「この和歌は会津藩家老西郷頼母が明治22年4月24日、会津若松市阿彌陀寺で、会津藩殉難者慰霊祭が、晴れて執行出来るようになった喜びを詠んだ和歌で、西郷家で自刃した21人のうち6名までが、小森家の血縁につながる人々であったこと、又、小森一貫斉が母成峠で戦ったことに思いを馳せ、一貫斉の曽孫である小森昌子さんが殉難者への鎮魂のため昭和59年9月、ここに建設したものである。 母成弔霊義会」

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「戊辰の道」を戻る。14:26

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狭い道を慎重に歩く。

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倒木の下をくぐる。

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「戊辰の道」出発地点に戻った。14:46

せっかくなので、また達沢不動滝を見に行く。

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女滝

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男滝

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今度は緑のきれいな季節に来たい。15:01
達沢バス停 15:20
中の沢温泉バス停 15:50

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磐梯急行電鉄(沼尻軽便鉄道)沼尻駅跡

「沼尻駅からは日本硫黄株式会社が製錬した硫黄が積み込まれました。運搬された硫黄は、国内では化学繊維を作る材料として使われました。白糸の滝の東側にあった硫黄の採掘地は、中ノ沢・沼尻温泉の源泉沸出地でもあります。
軽便が走るようになってからは、一年を通して湯治客やスキー客で温泉街が賑わうようになりました。」

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当時の駅舎を再利用した建物

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中ノ沢温泉

源泉は安達太良山中から湧き出している。毎分13,400リットルの湧出量がある。源泉より約6キロ引き湯される間にガスが抜かれ、湯もみされ、まろやかでちょうど良い湯加減になる。泉質:酸性含硫黄硫酸塩塩化物温泉

帰りに温泉に入ろうと思ってたが、タオルを忘れてしまった。日帰り温泉500円と書いてある温泉宿がいくつかあった。pH2前後の温泉に入ったことがないので、次は温泉に入りたい。

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おいしさづくり日乃出屋で、天ぷらまんじゅう(5個入り600円)を買った。
白(つぶしあん)黒糖(こしあん)のミックス

「時は江戸時代、会津初代藩主保科正之公が高遠藩(長野県)から会津藩に移る際、会津に伝わったと云われています。お供えものとして捧げられた饅頭を天婦羅にし、もう一度おいしく食べられるようにしたのが始まりという説もあり現在では会津の郷土料理として、沢山の人々に愛され食されています。」

道路の温度計は「只今の気温 4℃」と表示されている。どおりで、注文するときに口がまわらなかったわけだ。

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宝来堂製菓で笹だんご(4個入り500円)を買った。天ぷらまんじゅうをもらって食べた。

磐梯東都バス 沼尻(17:01)→猪苗代駅(17:35)790円
磐越西線 稲苗代(17:40)→郡山(18:15)
新幹線 郡山(18:59)→大宮(20:17)自由席2640円
埼京線 大宮→新宿

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2019年11月19日 (火)

駅からハイキング 荒川(福島市)

11月16日(土)

駅からハイキング「日本有数の清流・荒川を堪能しよう!」(歩行距離:約15km)が気になった。福島市の四季の里がスタート・ゴールで、荒川(阿武隈川水系の一級河川)の堰堤や あづま総合運動公園をめぐるコースだ。

福島駅東口→(路線バス・有料)→四季の里(スタート)→荒川資料室→地蔵原堰堤→旧土湯街道→荒川遊砂地大暗渠砂防堰堤→県営あづま総合運動公園いちょう並木→県営あづま球場→木陰広場→福島市民家園→荒井の奥入瀬→四季の里(ゴール)→(路線バス・有料)→福島駅東口

大正時代にできた地蔵原堰堤、大暗渠砂防堰堤(上部は人が通れる橋、下部は魚が行き来できる)を見たい。コースにはないが、江戸時代の霞堤という堤防も見たい。

週末パス 8880円
山手線 新宿→上野  京浜東北線 上野→東京
この日は、山手線の一部区間運休で、中央線快速ではなく、山手線上野行きに乗った。表示は池袋・上野方面になっていて、運休になってる駅も所要時間が表示されていた。池袋を過ぎると、ドア上の液晶ディスプレイがJRのロゴになった。上野行きが表示されなくて残念だった。

新幹線 東京(7:08)→福島(8:45)自由席3740円
福島交通路線バス 福島駅東口(9:30)→四季の里入口(10:00)670円

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四季の里 駅からハイキングの受付は管理事務所。ここから左へ100m、茶色の建物。数種類の地図とリーフレットを渡された。15キロの決められたコースはなく、地図を見ながら自由にウォーキングを・・・、ということらしい。

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過去2回とも初夏に訪れていて、家族連れでにぎわっていた。ほとんど人がいなく、閑散としている。屋内(工芸館)で地図や資料を見比べてから出発。

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花の丘

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荒井の奥入瀬

「洪水を防ぐために築かれた堤防や、自然林の間を、堰堀で巧みに誘水し穏やかな水を田畑に導いています。長年保たれてきた水防林の景観が見事です。」

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江戸時代の霞堤(かすみてい)

「荒川岸に残る霞堤は、江戸時代に築かれた堤防です。隙間を空けて断続的に構築することで、水勢を弱めて本流に戻す特殊な機能を持っています。」

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「霞堤」および「水防林」の役割イメージ図

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霞堤の境目

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荒川資料室

福島市の南部を東から西へ流れる阿武隈川水系荒川の歴史を紹介している。

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地蔵原堰堤(えんてい)(堤高:8.7m 堤長:74.4m 竣工:大正14年)

 「地蔵原堰堤は、荒川堰堤の中で最も古い土木施設で、歴史的価値のある土木遺産として認定され、荒川の歴史的治水砂防事業の記念碑的な施設です。
 地蔵原堰堤は荒川の治水・砂防事業の中核を成す施設であり、川の流れを固定し、流路の安定化を図り土砂災害から守るという非常に大切な役割を担っています。」

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数次の改築・増補を経て 昭和28年に現在の姿となっている。

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橋の隙間を水が流れていて、対岸に渡ることができる。

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旧土湯街道

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荒川大暗渠砂防堰堤

説明板がなかったから、通り過ぎてしまった。帰りにじっくり見よう。

熊注意の立て看板がところどころにある。下流ではA4サイズ程度だったのが、この辺になると工事現場にあるような1m超えの細長い金属製の看板が置かれている。

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荒川第5堰堤(堤高:12m 堤長:150m 竣工:昭和29年) 

「荒川第5堰堤は、荒川流域で最も堤長の長い施設で、荒川遊砂地の最上部に位置しています。
水通し天端部の下流側角石が、流水や土石流などによって簡単に抜けないように斜めに組まれているという全国的に見ても非常に珍しい特徴を有しています。」

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荒川第1堰堤(堤高:10m 堤長:57m 竣工:昭和12年)

「荒川第1堰堤は、荒川流域でもっとも古い砂防堰堤であり、下流面は端正な布積みとなっています。また、堤体上流面には、当時としては最先端の技術が導入された痕跡として、型枠コンクリートの板目が残されています。右岸袖部には、筆文字で書かれた銘板も見ることができます。」

この先は、草が茂っていて、どこが道なのかわからない。地図をよく見ると、「案内人が必要です。」と書いてあった。ここで引き返そう。

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荒川遊砂地大暗渠砂防堰堤

柵に鍵がかかっていたから、ここではないと思って通り過ぎてしまった。ここを渡るのを楽しみにしてたのに残念だ。

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全長:252m 竣工:平成19年

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「半円形の暗渠を9カ所設け、大洪水の時には土砂を一時的に貯め、平常時は自然な状態で川の流れを確保します。砂防ダムとしては全国有数の規模です。」

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地蔵原堰堤の橋を渡る。

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義民堂公園(義民太郎右衛門の霊堂)

1729(享保14)年、定免法(じょうめんほう)の施行、年貢の増強などの代官の圧政に苦しんだ農民を救済しようと、佐藤太郎右衛門は、福島藩に越訴(おつそ)をし、さらに江戸の目安箱に直訴したため、翌年佐原荒田口で獄門に処せられた。

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小富士橋から(あづま球場方面)

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水林自然林管理事務所
(奥に見えるのは、リスのエサ台)

「自然林公園の野外施設の管理棟として事務所、公衆トイレが有り、山野草や野鳥などの写真を展示しています。」

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霞堤と紅葉

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県営あづま総合運動公園いちょう並木

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あづま総合運動公園のキビタンマンホール(数種類の絵柄があった)

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とうほう・みんなのスタジアム(県営あづま陸上競技場)

歩数計を見たら、2万6千歩ほどだった。電池切れマークが点滅してるのに気づいて、電池を交換した。(ボタン電池と3cm位のドライバーを持ち歩いている)歩数データが一部保存されてなくて、2万2千歩ほどに減っていた。

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義民太郎右衛門終焉の地

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トリムの森

丸太で作られた25種類の遊具で、フィールドアスレチックを楽しむことができる。

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丸太わたり

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ぶらぶら橋

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旧奈良輪家(江戸時代中期)

福島市民家園(入園無料)

「敷地約110,000㎡の園内には、江戸時代中期から明治時代にかけての県北地方の民家を中心に、梁川村(現在の伊達市)の芝居小屋、福島市内の商人宿、料亭、板倉、会津地方の民家等を移築復原し、庭や畑と共に当時の環境を再現しています。
復原した建物の多くは国、県、市の文化財に指定されています。」

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元客自軒(もとかくじけん)(江戸時代後期)

『幕末から明治初期にかけての福島有数の割烹旅館であり、福島の歴史上重要な舞台になったことで知られる。慶応4年(1868)には、奥羽征討軍の下参謀、世良修蔵が仙台藩士に襲撃され「客自軒」に引立てられた後、阿武隈川畔で惨殺された事件があった。その後も明治11年(1878)福島町議員選挙の投票所としてこの建物が使用された。明治中期の所有者の変更に伴い河野広中によって「紅葉館」と改名され、のち下宿業に転じて使用された。解体前は中庭を囲んで4棟が存在していたが、創建された当初の「客自軒」の姿として、旧東棟・旧北棟の2棟を復原した。建築部材は全て細く、当時の町家造の手法に近い略式化した数寄屋造の手法が見られる。』

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旧小野家(明治6~7年推定、養蚕農家)
建物の隣に蚕のエサとなる桑の木が植えられている。

他に国指定重要文化財の旧広瀬座(明治20年)という芝居小屋がある。(逆光でよく映らなかった)

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トリムの森(木製コンビネーション)

霞堤をまたぐように遊具が設置されている。

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県営あづま球場

2020年東京オリンピックの野球、ソフトボール競技開催に向け、グラウンドの人工芝化、及び室内のトイレ、シャワー室などの改修工事を行っている。

ソフトボール 2020年7月22日・23日  野球 7月29日

四季の里に戻ったのが16時50分頃だった。バス停に向かう途中、バスが通り過ぎるのが見えた。時刻表を見ると、さっきのバスは16時53分発で、次は17時48分発か。暇なので散歩したら、ジェラート店がまだ開いていた。

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honey bee 本店

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ダブル 468円
(ハニービー、ホワイトチョコストロベリー)
人気ナンバーワンのハニービーは、はちみつをトッピングできる。

福島交通路線バス 四季の里入口(17:48)→福島駅東口(18:18)670円

駅ビル、エスパル福島に「honey bee」の店があった。さっき食べに行った店が本店ということを帰ってから知った。
らーめん粋家(すいか)エスパル福島店で粋家味噌らーめん(750円)を食べた。寒い季節は味噌ラーメンが食べたくなる。JR東日本の子会社NRE(日本レストランエンタプライズ)の飲食店。関東からは撤退して、仙台店と福島店のみ。支払いはSuicaで。

新幹線 福島(19:16)→東京(20:48)自由席3740円

歩数は3万8千歩ほど。電池交換でデータが一部消えたから、実際には4万歩を超えているだろう。

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