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2020年3月22日 (日)

常磐線全線運転再開 広野~双葉

3月15日(日)

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ハタゴイン福島広野

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朝食バイキング

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ひろの防災緑地

9時53分の常磐線に乗る前に、海沿いを散歩した。

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1年ほど前、腰ぐらいの高さだった松が、
高いものは自分の背丈ほどに生長していた。

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松ぼっくりもなっている。

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姥嶽蛇王神社 奥州日之出の松

神社の由来となった悲しい物語を全文載せます。

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奥州日之出の松と竹女物語

 『永保3年(930年ほど昔・白河天皇の時代)のころ、浅見川村(現広野町)の豪農鈴木忠左衛門家に生まれた竹女(たけじょ)は15歳で大きな農家に嫁ぎ、女の子にも恵まれ幸せな日々を送っていました。
しかしこの愛娘が6歳の時天然痘で亡くなり、他人の保証をして失敗した夫は自害するなど、愛する二人を失った竹女は失意と落胆のあまり真剣に仏門へ帰依することを考えますが、義理ある人の世話を断りきれず岩城判官平正道(たいらのまさみち)に仕えたのは28歳のときでした。
この年に安寿が生まれ2年後に厨子王が生まれます。
竹女は心底真心込めて二人の養育に努めました。
 その後平穏な日々が続きますが、あるとき正道は逆臣のだまし討ちで殺害され妻や子どもたちまで命を狙われることになります。
妻(28歳)と安寿(12歳)厨子王(10歳)は竹女と共に追っ手を逃れながら朝廷に訴えるべく京都へ向け旅に出ます。
明治の文豪森鴎外の著書『山椒太夫』はここから始まっています。
 山本太夫という悪者にだまされ人買いに売られた4人は直江の浦(新潟県)で離れ離れにされてしまいます。
我が子の生まれ変わりのように慈しみ育ててきた安寿と厨子王を乗せた船が見る見る遠ざかって行くその時、竹女は船頭にしがみつき何度蹴倒されても船を戻すよう懇願しますが船頭は聞く耳を持ちません。
とうとう力尽きた竹女は「もはやこれまで奥方様ごめん下さりませ」と言うと自ら海へ身を投げてしまいました。
この時竹女の胸を去来したのは、奥方と二人の子どもを守ることのできなかった責任感と人の世の無情に対する絶望感、そして幼くして亡くなった愛娘の面影だったのではないでしょうか。

 一方そのような竹女の悲しいできごとを知る由も無い浅見川村では、五月のある日のことそれまで雲ひとつ無く晴れわたっていた空がにわかに掻き曇り、これまで経験したことも無い激しい雨と雷鳴にみな恐れおののきました。そして急に水かさが増え真っ黒に濁った浅見川の河口が異常に盛り上がったと思った瞬間、赤・青・黄・紫・金・銀といった多くの色が綯い交ぜになったような大きな蛇が水面を飛びはね、空を飛んで河口近くに在った鈴木忠左衛門家の松の大木に絡みつきました。
これを不吉なことと思った鈴木家また村人は、この松の大木を切り倒してしまいました。するとその切り口からは人間の血のようなものが流れ出ました。
村人たちが竹女の悲報を知ったのはその後でありました。
鈴木家と村人は竹女の死を悲しみ、その霊が大きな蛇となってふるさと生家の松に戻ったものと信じ「姥嶽権現堂(うばたけごんげんどう)」と「蛇王神社」を建立してその霊をねんごろに弔いました。
 その後この切り倒された木の根元に芽吹いた松が成長して立派な松の木となりますが、村人はこれを「血の出の松」と呼んだそうです。
白砂青松、陸前浜街道の浅見川河口に在る優美なこの曲松に、大海原から昇る朝日が懸かる風情はまさに一幅の絵を観るようだと賞賛され、やがて『奥州日之出の松』と呼ばれるとともに、『尾上の松』『高砂の松』とならび日本三名松の一つに数えられるようになりました。

 このように伝説と共に守り育ててきた日之出の松は打ち続く海岸の浸食と病害虫の被害により枯渇し、平成16年に伐採処分されました。
しかし関係者の努力によりその子孫の苗を育成し、平成28年7月に三代目の日之出の松として定植するとともに、東日本大震災により被災した竹女を祀る姥嶽蛇王神社の遷宮を行いました。

                  令和元年7月吉日

                  広野町観光協会
                  姥嶽蛇王神社  氏子一同』

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広野(9:53)→双葉(10:23)

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浪江方面

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大野方面

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双葉駅西口(双葉町)

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双葉駅西側第一地区 一団地の復興再生拠点市街地形成施設整備事業

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土地利用計画図

 『福島復興再生特別措置法の改正(平成29年5月)により、将来にわたって居住を制限するとされてきた帰還困難区域内に、避難指示を解除し、居住を可能とする「特定復興再生拠点区域」を定めることができることとなりました。
 双葉町では、特定復興再生拠点区域を定め、「双葉町特定復興再生拠点区域復興再生計画」を策定し、平成29年9月に内閣総理大臣による認定を受けています。これに基づき、道路・上下水道等のインフラ復旧や除染・家屋解体等を一体的に進め、令和4年春頃までに避難指示解除による居住開始を目指しています。
 早期帰還を目指し、JR双葉駅西側に「住む拠点」として、帰還住民のための住宅団地を整備していくとともに、公共公益機能・商業機能を確保する予定です。』

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双葉駅東口

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トイレは、駅構内になく、改札外のコミュニティセンター内にある。

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夜ノ森駅や大野駅と違って、バリケードはないものの、
9年前そのままの建物と立派な駅とのギャップに違和感を感じた。

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海の方へ行けるところまで行ってみる。
この辺は線量が高そうだ(1.431)

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フレコンバックが山積みになっている。

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双葉中央アスコン

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アーカイブ拠点施設・産業交流センター

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産業交流センター

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東日本大震災・原子力災害アーカイブ拠点施設

この先に巨大な水たまり(道路の幅くらい)があって、
これ以上進めない。ここで引き返す。

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震災3年後の写真

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初發神社

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マンホール

町の木 せんだん

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秋葉神社

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神社裏の石段を上ると公園があった。線量は0.215。
大きな碑が崩れたまま。しっかりした土塁がある。

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新山城跡(標葉城跡)

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9年前の自販機ラインナップ

アサヒ&カルピス

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コカ・コーラ

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ダイドー

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ダイドーポイントカード懐かしい。

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双葉駅の北側、道路ができるようだ。

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踏切をわたる。

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踏切から

駅のさらに奥、こんもりした山がある所、
福島県道路地図には「標葉城跡」と記されている。

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跨線橋から、双葉駅方面

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地図に「標葉城跡」とあった辺り。行ってみたが、
案内板などなく、民家の敷地のようで引き返した。

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双葉駅改札

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双葉(13:10)→原ノ町(13:36)

震災後、初めて福島県(会津)へ行ったのは、2011年4月29日だった。風評被害で観光客が減って困っているというので、行ってみようかなと。お土産のあかべぇサブレーがきっかけで、あかべぇグッズを買いに再び会津へ。しだいに会津だけでなく、中通り・浜通りにも行くようになった。約8年10ヶ月かかって、福島県59市町村、全て行った。まだ1回しか行っていない町村にも、再び行きたい。

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