旅行・地域

2017年5月22日 (月)

23区内の会津・新選組ゆかりの地を歩く

5月21日(日)

JR東日本「都区内パス」(750円)を使い、会津と新選組ゆかりの地を歩いた。

沖田総司逝去の地(大京町)→将軍お上がり場(浜離宮)→会津藩松平家中屋敷跡(東新橋1~2丁目)→会津藩松平家下屋敷跡(三田2丁目)→会津藩菩提寺実相寺(三田4丁目)→興禅寺萱野権兵衛・神保修理墓(白金6丁目)→成就院お静地蔵尊(下目黒3丁目)→板橋・近藤勇墓(滝野川7丁目)→板橋宿(板橋3丁目・仲宿)

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伝 沖田総司逝去の地

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新宿区大京町29

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植木屋平五郎の敷地は広かったようだ。沖田総司が亡くなったのは平五郎の離れとなっていて、この辺りのどこかだと思う。

中央・総武線各停 千駄ヶ谷→秋葉原

中央線ホームのミルクショップ酪で酪王カフェオレ(130円)を飲んだ。瓶入りの酪王牛乳や酪王カフェオレが飲めます。

京浜東北線 秋葉原→新橋

浜離宮恩賜庭園(300円)

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将軍お上がり場

リーフレットの説明文
「将軍が船に乗降する場所でした。昭和24(1949)年のキティ台風で階段の一部が崩れて海中に沈みました。」

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15代将軍徳川慶喜と会津藩主松平容保らが、開陽丸で大阪から逃げ帰った際、小舟に乗り換え上陸した。

2010年放送のブラタモリ「鷹狩り」で、タモリさん一行は将軍お上がり場から上陸した。

この近くから水上バスが出てる。これに乗れば水上から将軍お上がり場を見ることができる。給料日前なので、またの機会にしよう。

恩賜庭園、中の御門出入口から出て、海岸通り(上は高速道路)を渡る。この辺は会津藩松平家中屋敷跡だ。

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会津藩松平家中屋敷跡

この辺全部、中屋敷跡。痕跡は特になさそうだ。

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ウインズ近くの汐留西公園の地図

中屋敷跡は、港区東新橋1~2丁目付近(汐留通りまで)

浜松町駅まで歩く

山手線 浜松町→田町

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会津藩松平家下屋敷跡

港区三田2丁目付近
三ノ橋から慶応義塾中・女子高・グラウンド、三井倶楽部敷地一部

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三之橋

松平肥後守の下屋敷脇にあるので、肥後殿橋と呼ばれていたそうだ。

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三田綱町児童遊園

下屋敷跡のほぼ真ん中

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綱坂 つなざか

「羅生門の鬼退治で有名な、平安時代の武士渡辺綱(わたなべのつな)が付近に生まれたという伝説による。」

塀の奥は下屋敷跡

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実相寺(会津藩の菩提寺の一つ)

港区三田4-12-15

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聖光院之墓

保科正之の側室、後に継室。お万の方ともいわれる。
出羽米沢藩主に嫁いでいた長女媛姫が急死した。この死について、正之の別の側室が産んだ松姫が加賀藩主前田綱紀に嫁ぐことにお万の方が嫉妬し、毒殺しようとしたが誤って媛姫を毒殺したという言い伝えがある。
松姫の婚礼で実家へ里帰りしていた媛姫の具合が悪くなり、婚礼の2日後に亡くなった。毒が入った松姫の御膳がお付きの者の機転で取り替えられたため、媛姫がその毒入り膳を食べて死んだと伝わっている。(会津藩家世実紀)

山手線 田町→目黒

目黒駅から1.6キロ、徒歩20分

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興禅寺(会津藩士の墓が多くある)

港区白金6-14-6

萱野権兵衛と神保修理の墓が並んで建っている。黒河内家の墓もあった。

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萱野権兵衛の墓

「萱野國老敬仰碑
徳川幕府の末 天下大いに乱る 此の時我が会津藩主松平容保公
は推されて京都守護職の大命を拝し 朝廷幕府諸藩の間に立って
報公の誠を效たす 國老萱野長修命を奉じて藩政を執り 三軍を
督し 粉骨臣節を尽す 戦終って後聖天子我が藩公を寛典に処し
首謀の臣を索む 因って國老は同僚田中土佐 神保内蔵助と之に
当る 然るに田中 神保は八月二十三日西軍鶴ヶ城下侵襲の日
自刃す 国老罪を一身に負い 翌明治二年五月十八日保科邸に於
いて死を賜い 芝白金興禅寺に葬らる 國老の殉節により主家は
再興し 其の臣は皆罪を免ぜらる その忠烈凛として天日を貫く
今年 百回の忌辰に当る 不肖その墓に詣で 入っては相 出で
ては將 一死国に殉ぜし大義を追慕して去る能はず のち墓碑を
厳修しその傍に此の碑を建立し 以ってその大義を不朽に伝えて
世道人心の作興に資す
 昭和四十三年五月十八日
             会津会 会長 柏村 毅」

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神保修理の墓

来た道を戻り、目黒駅の反対側へ。目黒駅から1キロ、徒歩12分。

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たこ薬師成就院

目黒区下目黒3-11-11

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お静地蔵尊由来

 「この石仏像は、徳川二代将軍秀忠公の側室、お静の方の発願で奉納されたものです。お静は江戸城大奥にあがり将軍の寵愛を受け「お腹さま」となることを願い、三体の観音像を納め奉り、その素願かない慶長十六年(1611年)に男子「幸松麿」を授かります。その後、秀忠公正室、浅井崇源院の威勢を畏れながらもその恙無いご成育を祈り三体の地蔵を刻み納められます。そして再び願いかない、また家康公の側室見性院殿(武田信玄公の娘)の庇護もあり、保科正光公の養子となり、元服後、保科正之公となります。
 元和年間、三代将軍家光公は、目黒で鷹狩の際、当寺に参拝され、舜興和尚(中興第十五世)とのご法談の折、正之公との浅からぬ縁を知り、それにより寛永八年、正之公は信州高遠城主となります。お静は、大願成就の御礼として、阿弥陀如来像を納め奉りました。
 正之公は後に山形城主、さらに正保元年会津藩二十三万石の城主となり、会津松平家の祖となります。また家光公の命により四代将軍家綱公の後見人として、幕政に力を注ぎ、善政を施されました。
 お静地蔵はその由来により、古くから縁結び・子宝・子育・出世・福徳・開運を願う人々の信仰を集めてこられました。」

山手線 目黒→恵比寿

目黒は埼京線が止まらないから、恵比寿で埼京線に乗ろうとしたら、事故で遅れているという案内があった。次に来たのが湘南新宿ラインだった。涼みたかったのもあって、赤羽で降りることにした。

湘南新宿ライン 恵比寿→赤羽

イトーヨーカドーの地下フードコート、幸楽苑で味噌ラーメン(421円)を食べた。

埼京線 赤羽→板橋

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新選組隊長 近藤勇墓所

北区滝野川7-8-10

近藤勇と新選組隊士供養塔

 「慶応四年(1868)四月二十五日、新選組局長であった近藤勇は、中山道板橋宿手前の平尾一里塚付近に設けられた刑場で官軍により斬首処刑されました。その後、首級は京都に送られ胴体は刑場より少し離れたこの場所に埋葬されました。
 本供養塔は没後の明治九年(1876)五月に隊士の一人であり近藤に私淑していた永倉(本名長倉)新八が発起人となり旧幕府御典医であった松本順の協力を得て造立されました。高さ3.6メートル程ある独特の細長い角柱状で、四面の全てにわたり銘文がみられます。正面には、「近藤勇 冝昌 土方歳三義豊 之墓」と刻まれており、副長の土方歳三の名も近藤勇の右に併記されています。なお、近藤勇の諱である昌宜が冝昌とされていることについては明らかになっておりません。右側面と左側面には、それぞれ八段にわたり井上源三郎を筆頭に合計百十名の隊士などの名前が刻まれています。裏面には、当初は「近藤 明治元年辰四月廿五日 土方 明治二年巳五月十一日 発起人 旧新選組長倉新八改杦村義衛 石工 牛込馬場下横町平田四郎右衛門」と刻まれていましたが、一部は現在判りにくくなっています。
 戦術方針の相違から一度は近藤と袂を分った永倉ですが、晩年は戦友を弔う日々を送ったと伝えられています。本供養塔には、近藤勇のほか数多くの新選組ゆかりの者たちが祀られているので、新選組研究を行う際の基本資料とされ、学術性も高く貴重な文化財です。」

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近藤勇と新選組隊士供養塔 近藤勇像

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近藤勇供養碑 永倉新八の墓

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板橋宿平尾町脇本陣跡

板橋区板橋3-15

 「慶応四年(1868)四月、下総流山で新政府軍に捕らえられた近藤勇は、平尾一里塚付近で処刑されるまでの間、この豊田家に幽閉されていました。」

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板橋宿本陣跡

板橋区仲宿47-10

板橋駅に戻る途中、極上の会津ポスターがあったから振り返ると、喜多方ラーメンの店があった。

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喜多方屋 本店

板橋区板橋3-27-3

日曜日で定休日だった。都内で初めて喜多方ラーメンを出したお店だそうだ。

埼京線 板橋→新宿

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2017年4月10日 (月)

陸前山王719系あかべぇ疎開

4月9日(日)

今回は719系の写真ばっかりです。

青春18きっぷ5回目を使い、陸前山王駅に疎開留置されている719系あかべぇ(H-11とH-14)を見に行こうと調べてみたら、最短で12時28分。各停で往復すること考えると疲れそうだ。仙台まで新幹線で行って、後は18きっぷを使おう。

新幹線 東京(6:04)→仙台(8:00)10370円自由席

陸前山王は仙台から3つ目の駅
東北本線 仙台(8:30)→

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→陸前山王(8:42)

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H-38の奥にH-11あかべぇが見える

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H-3の奥にH-11あかべぇが見える

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H-14あかべぇの先頭が少しだけ見える

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陸前山王駅

無人駅で自動改札しかない。18きっぷは自動改札に入れられないから、そのまま通る。案の定、扉が閉まってピンポンが鳴る。こういう時は仕方ないよね。帰りも扉が閉まってピンポンが鳴った。

駅の反対側に行こう。改札を出て、左に行けば陸橋、右に行けば踏切を渡って行ける。少し遠回りだが踏切を渡る。

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H-11あかべぇがいた。

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3月5日に乗ったのが最後でした。ダイヤ改正後に運用されていたから、残るものだと思ってました。架線のない場所に放置されるということは、いずれ解体されるんでしょうね。でも、どこかの第三セクターとかで活躍したらいいなと思ってます。

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車両の間に「渡るな危険」の張り紙がある。

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H-14はH-5とH-8に挟まれています。

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H-14は会津若松駅側の貫通扉のあかべぇが小さい。

陸橋から719系留置の状況を見よう。

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             ⑥H5+H37
   ⑤H11+H39 ④H14+H1
③H38+H3 ②H25+H8 ①H7+H6

①2/27 H7+H6
②3/07 H25+H8
③3/14 H38+H3
④3/22 H14+H1
⑤3/28 H11+H39
⑥4/06 H5+H37

近いうちにまた2編成4両が疎開されるらしいです。

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もしかしたら、H-11も間に挟まれて見えなくなるかも。

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H-14あかべぇが悲しそう。

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H-11をじっくり見よう。

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線路とあぜ道の間に用水路がある。水はなかったが、深さは1メートルほどありそう。雑草が除草されている部分の下に管があって、線路近くまで歩いて行ける。次の写真はその付近から撮ったもので、線路には入ってません。

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H-14

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719系は平成元年から3年に製造された。台車は国鉄時代のものを再利用しているそうだ。

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パンタグラフはもう上がることはないのか。

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赤と黒、会津らしい色です。

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自動ドアのボタン

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こっち側の窓から磐梯山がよく見えた。2人掛けの座席によく乗った。

719系あかべぇに何回乗ったか考えた。
会津に通算150日以上行った。高速バスに乗ったか、バスツアーで会津若松駅を利用していないときもある。何割かはあいづライナー(東武色・国鉄色)か東武~会津鉄道に乗った。乗るならあかべぇ優先だけど、東北色しか来なかったこともある。でも、日帰りで行くことが多いから、100回ぐらい乗ったかも。

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1時間くらい、H-11あかべぇを眺めていた。11時10分の電車に乗るから、もう行かないと。手を振って、涙ぐみながら別れた。あかべぇ、ありがとう。

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跨線橋を渡り、ホームの端からH-14をズームで撮る。小さいあかべぇも撮れた。

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H-8の奥にH-14小さいあかべぇと小法師が見える。

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仙台行きの電車が来た。719系H-40とH-17の4両だった。H-17は磐越西線を走る車両で、今日は仙台以北で走ってた。

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H-40窓から。719系あかべぇ、ありがとう。バイバイ。

陸前山王(11:10)→仙台(11:24)
仙台(11:36)→白石(12:24)
白石(12:30)→福島(13:04)

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2017年3月 2日 (木)

新宿 松平容保邸跡

もともと会津に興味がなかった。自粛ムードで観光客が来なくて困っているそうなので、余震の心配はあったが、2011年のゴールデンウィークに1泊2日で行った。猪苗代湖と喜多方ラーメンは知ってたけど、会津若松は知らなくて、案内所で地図をもらって鶴ヶ城に行った。正直、よくあるコンクリートのお城だなという感想ぐらいしかなかった。歴史にも興味がなく、白虎隊や戊辰戦争もほとんど知らなかった。

Photo 2011年4月30日撮影

お土産のあかべぇサブレーの箱が捨てられず、あかべぇグッズを買いに青春18きっぷで会津若松に再び行った。それから会津、福島県各地に行くようになった。

2012年8月、松平容保公が現在の新宿区荒木町の生まれだと知った。荒木町のほぼ全域が、美濃高須藩(高須松平家)上屋敷だった。お屋敷は荒木町19番地辺り。会津松平家に養子入りした。まさか容保公が家から2キロも離れてない場所で生まれていただなんて。

さらに、明治26年正受院(新宿2丁目15番20号)に埋葬され、大正6年会津藩主松平家墓所・院内御廟に改葬されたことを知った。ちなみに私は、正受院と同じ新宿2丁目15番にあった医院で生まれ、小学校に上がるまで近くに住んでいた。

2014年10月、現在の新宿区富久町(牛込区市ヶ谷富久町118番地)に住んでいたことがわかった。私は容保邸跡から徒歩数分の所に住んでいる。なんという偶然なんだろう。

新宿歴史博物館 平成26年度特別展 「高須四兄弟 新宿・荒木町に生まれた幕末維新」のイベントで、高須四兄弟に関する史跡をめぐった。その中で、この辺が「会津ヶ原」と呼ばれていたと知った。

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富久クロス(55階建て)

容保邸があった118番地を含んだ一帯が、再開発で55階建てのマンションが建った。当時の折込広告にはキョンキョンが出てた。

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118番地だった所に、イトーヨーカドー食品館新宿富久店ができた。ちなみに私の家から一番近いスーパーマーケットです。

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富久町遺蹟(西富久地区第一種市街地再開発事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書)から図をお借りしました。容保邸があった市ヶ谷富久町118番地の正確な位置がわからない。後に載せる古地図を見比べるとある程度わかる。靖国通りから医大通りまでだからけっこう広い。

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地図の赤で塗ったところが、仮埋葬された正受院です。鐘楼の奥のあたり一帯、約20坪が松平家の墓域だった。容保公の墓があったことを記した案内板はない。

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外苑西通り側に二つのお社がある。富受稲荷大明神、五色弁財天・清滝不動尊・秋葉大権現。神社の地図記号を赤く塗った。富久クロスができる前はそこにあった。現在のような立派なお社ではなくて、狭い路地に真っ赤なお社が二つ並んでいた。バブル期の地上げで周りは駐車場と空き家ばかりだった。118番地内にあったと思われるが、いつ頃からあったかはわからない。

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調査地点、左下の角から

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敷地の一部は道路拡張で靖国通りになった。

「紙碑・東京の中の会津 牧野登/著」によると、明治6年1月23日に愛宕下邸で生まれ、同月25日に没した女児は三田の実相寺に葬られ、明治7年3月5日に没した男児二人(おそらく双生児)は正受院に葬られた。この間に愛宕下から市ヶ谷富久町へ移転されたであろう。

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赤く塗ったところが容保邸だと思われる。

 「明治十三年に日光東照宮就任の際の容保自筆履歴では〝市ヶ谷富久町百十八番地居住〟となっている」(紙碑・東京の中の会津)

明治13年、容保公は日光東照宮宮司になり、同時に西郷頼母も宮司を補佐する禰宜職に就任している。

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容保邸前の丁字路 富久さくら公園

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丁字路から撮った。お屋敷があったのはクリニック付近でしょうか。

明治16年から20年まで容保公と家族は、会津若松の御薬園に住んでいた。

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「八重の桜 第43回鹿鳴館の華」を見ていたら、明治16年、京都に届いた封筒に「東京府牛込区若松町三番地 山川浩」と書いてあった。現在の住所だと新宿区若松町6番、牛込若松町郵便局付近だと思う。gooで明治時代の地図を見ることができる。容保邸の敷地と比べると狭いが、現代の住宅事情を考えるとなかなか広い。容保邸から山川邸まで1.5キロ程度、徒歩20分弱。

東京地籍図新宿区編第3巻 東京市牛込区地籍台帳によると、昭和6年12月現在の若松町3-1の面積は123.31坪となっている。

照姫は、明治17年2月、「滞在中であった東京牛込の旧会津藩家老山川浩の家で生涯をおえた。」(幕末会津の女たち、男たち-山本八重よ銃をとれ/中村彰彦著)正受院に埋葬され、会津藩主松平家墓所・院内御廟に改葬された。公式では、小石川の保科邸で亡くなったとされている。

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小説家・田山花袋が一時期近くに住んでいた。明治19年7月14日「一家をあげて牛込区市ヶ谷富久町一二〇番地(会津候邸内)に移る」。明治22年、牛込納戸町に転居した。

「私達は取敢ず牛込の奥のある大名の下邸(しもやしき)の一部に住った」
「段々開けて行くと言ってもまだ山手はさびしい野山で、林があり、森があり、ある邸宅の中に人知れず埋れた池があったりして、牛込の奥には、狐や狸などが夜毎に出て来た。」(東京の三十年 再び東京へ)

「松平家が〝牛込市ヶ谷富久町百十八番地〟よりこの〝小石川区小日向第六天町八番地〟に転入したのは、明治二十年一月二十八日のことである。」(紙碑・東京の中の会津)

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「内藤新宿の昔を語る古老たちの手記の中に、おそらく松平家が富久町を去った明治二十年以降、富久町一一八番地のあたり一帯が〝会津ノ原〟と呼ばれていたということが記されている。」(紙碑・東京の中の会津)

古老たちの手記とは、「内藤新宿の思い出 第1-6集/四四会」という文集のこと。明治44年3月に、華園尋常小学校(花園神社裏)を卒業した方々が当時の思い出を回想して、昭和41年から46年にかけて発行したもの。新宿歴史博物館内の図書室で閲覧できる。会津の原、会津の原っぱで遊んだという記述があった。

「会津の原はいまの厚生年金会館の裏のほうにあった。牛込富久町のあたりで、もと会津屋敷があった跡らしい。」(新宿うら町おもてまち 野村敏雄/著)

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   正受院↑          会津の原っぱ↑

明治四十三、四年頃の内藤新宿町北裏通り番衆町附近図
(内藤新宿の思い出 第2集)

北裏通りとは現在の靖国通りのこと。
「この通りの南側には、牧場の四谷軒、大島陸軍大将邸、牧場の大平舎、正受院、成覚寺、牛やの原っぱ、牧場の耕牧舎、市電の車庫があり、北側には、安保海軍中将邸、会津の原っぱ、多納病院、浜野邸、前田邸の山林、三光院神社などがあった。」(内藤新宿の思い出 第2集)

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「会津の原っぱ」部分拡大

医大通り側に建物と林がある。容保公が住んでいた建物でしょうか?
市ヶ谷監獄農耕地は東京医科大学になり、東京監獄(市ヶ谷監獄)は都立総合芸術高校となっている。

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東京地籍図新宿区編第3巻東京市牛込区地籍台帳
昭和6年12月現在

市ヶ谷富久町
118-1 4198.18坪
118-2   57.00坪
118-3  136.82坪
137     120.73坪
138     399.18坪
139     257.36坪

明治12年と明治20年の地図には137~139番地がない。容保公が転居した後に分割して売却されたのかも。

この辺を川が流れていた。紅葉川の水源のひとつで、今の富久町交差点付近で本流に合流し、靖国通りから外堀に注ぎ、神田川へとつながっていた。

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緑・・・松平容保邸跡
赤・・・正受院(容保公・家族・照姫 仮埋葬)
紫・・・容保公生誕の地(高須松平家)
黄・・・西光庵 高須松平家墓所、生母(古森千代)墓もある
橙・・・山川浩邸跡
水色・・・玉川上水(暗渠) 保科正之公が老中らの反対を押し切って開削させた。

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2017年2月 5日 (日)

小日向 松平容保邸跡

うちの近所に松平容保公が住んでいた。牛込区市谷富久町118番地(新宿区富久町17番) 古地図を見ると、屋敷は医大通り側にあったみたい。明治7~8年頃?から16年。その後、明治16年から20年まで会津若松の御薬園に住み、小石川に移住した。明治26年逝去、正受院(新宿2丁目)に仮埋葬、大正6年会津院内御廟に改葬された。

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容保邸の庭でお買い物♪ 

晩年を過ごされた、小石川の容保邸があった付近に行った。小石川区小日向第六天町8番地(現在の文京区小日向1丁目2~3番地あたり)

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容保邸は称名寺脇の坂道を登りきったところにあったそうだ。

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松平容保終焉の地(説明板などは無い)

コーシャハイム小日向という賃貸住宅が建っている。閑静な住宅街。

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旧小日向第六天町(昭和41年までの町名)

 「もと、小日向村に属し、正徳3年(1713)町方支配となった。神田上水堀の土手の上に、第六天社が祭られていた。その北側の前の町ということで、第六天前町と称した。
 明治2年、称名寺門前を併せ、同5年には旧大久保長門守下屋敷、寺地、先手組屋敷などを合併した。町名は、第六天前町の前の字を省いて、第六天町と町名を変更した。
 今井坂を上ったところ、もと大久保長門守の屋敷跡に明治34年に、徳川最後の将軍慶喜が移って来た。そして、大正2年、ここで波乱の一生を終わった。」

緑・・・松平容保邸
青・・・徳川慶喜邸

松平容保は明治26年12月5日に亡くなった。徳川慶喜が移り住んだのは明治34年12月。二人が過ごした時期は重ならない。現在は小日向1丁目と春日2丁目と別々だけど、同じ小日向第六天町で晩年を過ごしたのは偶然でしょうか。

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徳川慶喜終焉の地  春日2-8-9(国際仏教学大学院大学内)

 「徳川幕府最後の将軍慶喜は、水戸藩主徳川斉昭の七男として、天保8年(1837)小石川の上屋敷(現小石川後楽園一帯)で生まれた。
 その後、御三卿の一橋家を相続した。ついで、幕末の動乱のさなか、長州攻めの陣中で没した第十四代将軍徳川家茂のあとを継ぎ、慶応2年(1866)第十五代将軍となった。
 翌、慶応3年大政奉還し、鳥羽伏見の戦いの後、天皇に対し恭順の意を表して水戸で謹慎、明治維新後、駿府(静岡県静岡市)に隠棲した。明治30年(1897)東京の巣鴨、さらに明治34年誕生の地である旧水戸屋敷に近いこの地に移った。
 慶喜は、のちに公爵、勲一等旭日大綬章を授けられ、朝敵とされた過去から名誉の回復がなされた。大正2年(1913)11月22日、急性肺炎のためこの地で没す。享年76歳。寛永寺墓地に葬られた。  文京区教育委員会」

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地上を走る地下鉄丸ノ内線

慶喜邸の面影を残すものは、大公孫樹のみ。

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2016年7月 3日 (日)

SL福が満開ファイナル(1)

6月26日(日)

もう一つ後の上越新幹線でもSLの時間に間に合うが、SLの入線から見たいので、始発にした。えきねっとで太陽とは逆側のE席を予約した。E席は数席しか残っていなかった。皆、考えることは同じだ。

上越新幹線 東京(6:08)→新潟(8:13)指定席4950円

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SL福が満開ファイナル 9:30発

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電気機関車に牽引されて入ってきた。

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ふくしまDC最後の日曜日、SL福が満開ファイナルに乗車する。指定席(520円)をとったのは数日前で、進行方向と逆だが窓際の席をとれた。

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ヘッドマーク

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展望車

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オコジョルーム

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オコミちゃんと駅員さんが横断幕を持って見送ってくれた。

新潟駅 9:30発

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新津駅到着

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SLばん物が走る福島県の市町村(西会津町・喜多方市・湯川村・会津若松市)をデザインしたヘッドマーク

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新津駅 10:04発

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駅でSLの絵が描かれた瓦せんべいをもらった。駅弁を買ったらポストカードをもらった。

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SL福が満開ファイナル 乗車記念証

車内で咲花温泉の入浴剤をもらった。

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柿の種

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阿賀野川

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津川駅でオコジロウが歓迎してくれた。

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SLの点検と給水が行われる。

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昭和21年だから今年で70歳か。

津川駅 11:27発

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2016年6月24日 (金)

さよなら485系国鉄色(4)

30数年前、特急やまばと(485系国鉄色)に乗った。昔の懐かしいことをいくつか思い出した。

洗面所に冷水器があって、横にぺしゃんこの紙コップが数十枚設置されてて、下から1枚取り出して、小さい紙コップ(紙袋)をパカッと開く。ボタンを押すと冷たい水が出てくる。おもしろがって何杯も飲んだ。

ポリ容器のお茶、フタが湯のみになってて、ティーバッグ付き。お茶を濃くするのが楽しかった。

金属製の灰皿、たまった吸い殻を下に落とせるようになってる。今では考えられないけど、列車で喫煙できたし、子どもの前でも平気で親が吸ってた。

上野駅のキヨスクで売ってたドーナツ(5個入り)の味が忘れられない。スーパーやコンビニで似たようなドーナツをたまに買うけど、あの懐かしいドーナツではない。甘ったるい匂い、ぼそっとした食感、グラニュー糖がかかってる。

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6月19日(日)

国鉄色485系が、最後のお客さんを乗せて山形から帰ってきます。

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16時13分、特急つばさは定刻通り仙台駅6番線ホームに戻ってきました。

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16時30分頃、車庫に戻るため仙台駅を出発する。悲しい汽笛が鳴り響く。国鉄色485系ありがとう。

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最後に会いに行ってよかった。行かなかったら、絶対後悔してた。磐越西線をよく走ってた国鉄色に会えないと思うと寂しくて泣いたよ。

午後は曇ってた。磐越西線を最後に走るのは日曜日だったらよかったのにと思ってたけど、日曜日の午後は磐梯山がよく見えなかっただろう。磐梯山がてっぺんまで見える日に走ってもらいたいと思ってたから、結果的には土曜日でよかったと思う。仕事で見に行けなくて残念だったが。

どこかの鉄道博物館で先頭車だけでも展示してもらえないかな。保存してくれたら、絶対行くよ。

仙台(17:25)→東京(19:28) 自由席10370円

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2016年6月23日 (木)

さよなら485系国鉄色(3)

6月19日(日)

485系国鉄色、特急つばさは仙台駅を11時53分に発車しました。

タイフォンカバーが開いているのを撮りたくないからと、接着剤を使い細工した撮り鉄がいましたっけ。タイフォンカバーが開いている(上から2枚目)のも、なかなかカワイイと思います。

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山形駅13時18分に着いて、最後のお客さんを乗せて14時38分に出発、仙台駅には16時13分に着く。

1時間前までに仙台駅に戻ろう。12時1分に発車する電車があるから、とりあえず乗ってみた。仙台の辺りだとどの路線に乗っても本数が多いからなんとかなるだろう。白石行きの東北本線だった。時刻表を見ながら、どこで降りようか考える。名取駅は仙台空港鉄道の乗り換え駅で本数も多い、降りてみよう。もしかして、おつまみ工場があるのかな?

仙台(12:01)→名取(12:14) Suica237円

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おつまみ工場はなく、ビール工場があった。反対側の出口から出たが、駅前にコンビニや営業してる飲食店がない。

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名取市マンホール 市の木クロマツ

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市の花ハナモモと市章

正面はどの向きだろう? マンホールフックの穴か反対側か。名取市の「名」をデザインしただろうから、この向きだろう。

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衣笠の松

明治9年(1876)6月、明治天皇東北御巡幸の折、天皇御一行が御休息した際に、随行者の木戸孝允が詠んだ「大君の立寄りましし陰なれば衣笠の松とこそいうなかりけれ」という和歌によって「衣笠の松」と命名されました。

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たこうや どら焼きや水ようかんなどを買った。

駅前でどら焼きなどを食べ、ビール工場側の出口へ。こっち側へ出れば生協があったんだ。ちょっと生協に寄ってみた。「なとり」の会社はどこにあるのか? チーズ鱈の裏を見ると、東京都北区王子だった。
駅で本や新聞を読んで過ごした。

名取(14:51)→仙台(15:04) Suica237円

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2016年6月22日 (水)

さよなら485系国鉄色(2)

6月19日(日)

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新幹線に乗って先回りをして、仙台に着いた。Suicaで駅の中に入って、特急つばさを見送った後に、近くの駅で降りて散歩するつもりです。

子どもの頃に「特急つばさ」に乗った記憶はないが、「特急やまばと」にたびたび乗ったことを覚えている。特急やまばとがどんな電車だったかは覚えてなくて、画像検索すると当時の写真が出てきた。485系国鉄色だったんだね。当時は早朝の番組で特急の空席情報をやってて、特急やまばとに乗って山形に行きたいと駄々をこねたっけ。

福島方面から特急つばさがやってきます。

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仙台駅の駅名標とともに

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会津若松駅の電光掲示板もこのくらいのコメントが出せたらよかったのに。

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乗車口のシール

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白石行きの719系が出発して、並んだところ。東北本線(黒磯~一ノ関)、常磐線、仙山線の719系が、E721系1000代新造車両に置き換わり、順次廃車になるそうです。磐越西線を走る719系は、いまのところ対象外です。

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記念撮影する親子

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そろそろ山形に向かう時間です。

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2015年1月 1日 (木)

2015年

あけましておめでとうございます。
今年は「ふくしまデスティネーションキャンペーン」の年ですね。(2015年4月1日~6月30日)たくさんの方が福島県に訪れてくれたらいいなと思ってます。もちろん私も福島県に遊びに行きます。

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12月31日

正受院(新宿2丁目)で除夜の鐘を撞きました。正受院は松平容保公や照姫らが仮埋葬されていた寺で、現在は会津院内御廟に改葬されています。

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宝永8年(1711)、江戸神田の鋳物師により鋳造された銅造の梵鐘。総高135cm、口径72.8cm。昭和17年に金属供出されたが、戦後アメリカのアイオワ州立大学内海軍特別訓練隊にあるのが発見され、昭和37年12月に正受院に返還されたことから、「平和の鐘」と呼ばれる。江戸時代の梵鐘は、このような金属供出により現存数が少なく、価値が高い。

除夜の鐘を撞いた後、みかんと甘酒を頂きました。みかんは5~6箱用意されてましたので、108でおしまいというわけではなさそうです。おねぇ系や外国の方が参加されてるのも新宿という感じがします。年が明けたら何か始まるのかなと思ったら、何もなくて帰りました。帰る頃には寺の外まで列が伸びてました。

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2014年11月 9日 (日)

磐西全線開通100周年号(2)

11月1日(土)

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快速「磐西全線開通100周年」号

1914年(大正3年)11月1日、津川駅~野沢駅間が延伸開業し、
現在の磐越西線新津駅~郡山駅間が全線開通しました。

新潟駅 9時43分発

ボックス席のB席、通路側後ろ向きの席でした。
他の3人は家族連れで小学生の女の子と両親でした。

車内で新潟市の観光PR資料をもらいました。

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新津駅 ゆるキャラお出迎え

さつきちゃん 新潟市秋葉区(旧新津市)
オコジロウ&オコミ SLばんえつ物語号のキャラクター

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SLヘッドマークレプリカ展示

新津駅 10時15分発

五泉駅 10時31分発

車内で五泉市の観光PR資料とチューリップの球根をもらいました。

咲花駅 10時47分発

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展望車

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快速「磐西全線開通100周年」乗車記念証

写真は新津駅~東新津駅間(1968年)

きっぷに記念スタンプを押してもらった。
会津若松駅に着いたときに、記念に持って帰りたいと言ったら、
乗車記念のあかべぇスタンプも押してくれた。

三川駅 11時03分発

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津川駅 お出迎え

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オコジロウの家

津川駅ホームにあります。オコジロウが出迎えてくれました。

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室内には木の切り株の形をしたベンチや暖炉があります。
オコジロウが暮らしている雰囲気が楽しめます。

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津川駅 11時30分発

日出谷駅 11時46分発

もうすぐ福島県に入ります。

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